人物詳細

淡海真人三船

項目 内容
人物ID 34
名前 淡海真人三船 / あふみのまひとみふね
通称 淡海三船 / おおみのみふね
作品数(長歌) 0
作品数(短歌) 0
作品数(旋頭歌) 0
作品数(仏足石歌) 0
概要 大友皇子曽孫、葛野王孫、池辺王の子(本朝皇胤紹運録)。法名は元開(日本高僧伝要文抄)。天平勝宝3(751)1無位、賜姓淡海真人。以前は御船王。同8・5朝延を誹謗、人臣の礼を欠く罪により大伴古慈斐と共に禁固。この折、内豎。天平宝字2(758)頃尾張介(大日本古文書25)。同4・1尾張介正六位上、山陰道巡察使、同5・1従五位下参河守、同6・1文部少輔、同8・8美作守、同9月正五位上、天平神護2(766)2功田を賜わる。神護景雲1(767)3兵部大輔、同6月東山道巡察使正五位上行兵部大輔兼侍従勲三等の折、独継にて下野国司の罪を責めたため巡察使解任。同8月大宰少弐、宝亀2(771)7刑部大輔、同3・4大学頭兼文章博士、同8・1大判事、同9・2大学頭兼文章博士、同11・2従四位下、天応1(781)10大学頭、同12月光仁崩の御装束司、延暦1(782)8大学頭兼因幡守文章博士、同3・4刑部卿大学頭因幡守、同4・7卒、歳64。卒伝に性識聡敏、群書を渉覧し筆札を好んだと録す(続日本紀)。石上宅嗣薨伝には、宅嗣と共に文人の首と称されている(続日本紀)。『延暦僧録』に「淡海居士伝」(日本高僧伝要文抄)あり。『経国集』にその詩が載り、また『唐大和上東征伝』を撰す。