人物詳細
項目 | 内容 |
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人物ID | 451 |
名前 | 推古天皇 / すいこてんわう |
別名 | 推古, 額田, 小墾田宮御宇天皇, 豊御食炊屋姫天皇, 小墾田宮御宇 |
通称 | 推古天皇 / すいこてんのう |
作品数(長歌) | 0 |
作品数(短歌) | 0 |
作品数(旋頭歌) | 0 |
作品数(仏足石歌) | 0 |
概要 | 欽明天皇皇女、敏達天皇皇后、用明天皇と同母妹、母は蘇我大臣女堅塩媛(日本書紀・本朝皇胤紹運録)。即位前紀に18歳で敏達の皇后となり、34歳で天皇と死別、39歳の折、崇峻天皇が殺されたので、崇峻5(592)12豊浦宮に即位。推古1(593)4厩戸豊聡耳皇子(聖徳)を立太子させ万機を委ねる。宮の南の上殿に居す。同2・2、3宝興隆の詔を出し、諸臣連仏舎を作る。同5月高麗僧慧慈帰化、皇太子の師となす。同4・11法興寺完成、同8年任那の為に新羅を討つ。同10・10百済僧観勒が暦・天文・地理・遁甲・方術の書献上、同11・12冠位十二階の制定、同12・4皇太子十七条憲法を作る。同14・4丈六仏完成、同15・7小野妹子を遺隋大使とする。同20・2堅塩姫の改葬、同28年皇太子と島大臣(蘇我馬子)が共に議って天皇記・国記・臣連伴造国造百八十部并公民等本記を録す。同29・2聖徳皇子斑鳩宮に薨。同31年新羅任那を討つ。同34・5蘇我馬子薨。同36・2田村・山背大兄に自重すべきをのべ翌月崩、歳75(日本書紀)。 |