人物詳細
項目 | 内容 |
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人物ID | 716 |
名前 | 藤原朝臣八束 / ふぢはらのあそみやつか |
別名 | 真楯, 藤原八束朝臣, 房前第三子, 真楯, 八束 / またて |
通称 | 藤原八束, 真楯 / ふじわらのやつか, またて |
性別 | 男 |
時期 | 第4期 |
作品数(長歌) | 0 |
作品数(短歌) | 7 |
作品数(旋頭歌) | 1 |
作品数(仏足石歌) | 0 |
概要 | 房前の子、母は美濃王女(或いは美努王女・牟漏女王)、清河の兄(尊卑分脈)。天平12(740)1正六位上より従五位下、同11月従五位上、同13・12右衛士督、同15・5正五位上、同16・11従四位下、同19・3治部卿、同20・4元正葬の装束司。天平勝宝4(752)4摂津大夫、同6・1従四位上。天平宝字1(757)8正四位下、同2・8官号改易に参加、参議正四位下中務卿(真楯)、同3・6正四位上、同4・1従三位、同月大宰帥、同6・1中納言兼信部卿、同8・9正三位。天平神護2(766)1大納言、同三月薨。歳52。薨伝に房前第三子、度量弘深公輔の才あり官にあって公廉、慮は私なく明敏、時人に誉れあったと言う。仲麻呂がその才能を害しようとしたが、病と称し書籍に耽ったと伝える(続日本紀)。天平5年頃憶良の病を河辺東人に見舞わせる。この時19歳。天平15年頃左少弁、天平勝宝4・11諸兄宅での肆宴に右大弁(万葉集)。 |