歌詳細

大君の任けのまにまにしなざかる越を治めに出でて来しますら我すら世の中の常しなければうちなびき床に臥い伏し痛けくの日に異に増せば悲しけくここに思ひ出いらなけくそこに思ひ出嘆くそら安けなくに思ふそら苦しきものをあしひきの山きへなりて玉桙の道の遠けば間使も遣るよしもなみ思ほしき言も通はずたまきはる命惜しけどせむすべのたどきを知らに隠り居て思ひ嘆かひ慰むる心はなしに春花の咲ける盛りに思ふどち手折りかざさず春の野の繁み飛び潜くうぐひすの声だに聞かず娘子らが春菜摘ますと紅の赤裳の裾の春雨ににほひひづちて通ふらむ時の盛りをいたづらに過ぐし遣りつれ偲はせる君が心を愛はしみこの夜すがらに眠も寝ずに今日もしめらに恋ひつつぞ居る

項目 内容
番号 17-3969
漢字本文(題詞) 更贈歌一首<并短歌>
含弘之徳、垂恩蓬体、不貲之思、報慰陋心。戴荷来眷、無堪所喩也。
但以稚時不渉遊藝之庭、横翰之藻、自乏乎彫蟲焉。幼年未山柿之門、裁歌之趣、詞失乎聚林矣。
爰辱以藤續錦之言、更題将石間瓊之詠、固是俗愚懐癖、不能黙已。
仍捧數行、式酬嗤咲。其詞曰、
漢字本文 於保吉民能麻氣乃麻尒〻〻之奈射加流故之乎袁佐米尒伊泥氐許之麻須良和礼須良余能奈可乃都祢之奈家礼婆宇知奈妣伎登許尒己伊布之伊多家苦乃日異麻世婆可奈之家口許己尒思出伊良奈家久曽許尒念出奈氣久蘇良夜須家奈久尒於母布蘇良久流之伎母能乎安之比紀能夜麻伎敝奈里氐多麻保許乃美知能等保家婆間使毛遣縁毛奈美於母保之吉許等毛可欲波受多麻伎波流伊能知乎之家登勢牟須弁能多騰吉乎之良尒隠居而念奈氣加比奈具佐牟流許己呂波奈之尒春花乃佐家流左加里尒於毛敷度知多乎里可射佐受波流乃野能之氣美登妣久〻鶯音太尒伎加受乎登売良我春菜都麻須等久礼奈為能赤裳乃須蘇能波流佐米尒尒保比〻豆知弖加欲敷良牟時盛乎伊多豆良尒須具之夜里都礼思努波勢流君之心乎宇流波之美此夜須我浪尒伊母祢受尒今日毛之売良尒孤悲都追曽乎流
読み下し文(題詞) 更に贈れる歌一首<并せて短歌>
含弘の徳は恩を蓬体に垂れ、不貲の思は陋心に報へ慰む。来眷を戴荷し、喩ふるに堪ふること無し。
ただ稚き時に遊芸の庭に渉らざりしを以ちて、横翰の藻はおのづからに彫虫に乏し。幼き年にいまだ山柿の門に径らずして、裁歌の趣は詞を聚林に失ふ。
爰に藤を以ちて錦に続ぐ言を辱くし、更に石を将ちて瓊に間ふる詠を題す。固より是俗愚にして癖を懐き、黙已をること能はず。
よりて数行を捧げて、式ちて嗤咲に酬ふ。その詞に曰はく、
読み下し文 大君の任けのまにまにしなざかる越を治めに出でて来しますら我すら世の中の常しなければうちなびき床に臥い伏し痛けくの日に異に増せば悲しけくここに思ひ出いらなけくそこに思ひ出嘆くそら安けなくに思ふそら苦しきものをあしひきの山きへなりて玉桙の道の遠けば間使も遣るよしもなみ思ほしき言も通はずたまきはる命惜しけどせむすべのたどきを知らに隠り居て思ひ嘆かひ慰むる心はなしに春花の咲ける盛りに思ふどち手折りかざさず春の野の繁み飛び潜くうぐひすの声だに聞かず娘子らが春菜摘ますと紅の赤裳の裾の春雨ににほひひづちて通ふらむ時の盛りをいたづらに過ぐし遣りつれ偲はせる君が心を愛はしみこの夜すがらに眠も寝ずに今日もしめらに恋ひつつぞ居る
訓み おほきみのまけのまにまにしなざかるこしををさめにいでてこしますらわれすらよのなかのつねしなければうちなびきとこにこいふしいたけくのひにけにませばかなしけくここにおもひでいらなけくそこにおもひでなげくそらやすけなくにおもふそらくるしきものをあしひきのやまきへなりてたまほこのみちのとほけばまづかひもやるよしもなみおもほしきこともかよはずたまきはるいのちをしけどせむすべのたどきをしらにこもりゐておもひなげかひなぐさむるこころはなしにはるはなのさけるさかりにおもふどちたをりかざさずはるのののしげみとびくくうぐひすのこゑだにきかずをとめらがはるなつますとくれなゐのあかものすそのはるさめににほひひづちてかよふらむときのさかりをいたづらにすぐしやりつれしのはせるきみがこころをうるはしみこもよすがらにいもねずにけふもしめらにこひつつぞをる
現代語訳 大君の御任命によって、山の彼方の越中の国を治めるためにやって来た私すら、世間は無常なので、身を横たえて病床に伏すこととなり、苦痛が日一日とまさるので、悲しいことをこっちに思い出したり、辛いことをあっちに思い出したりして、嘆く身は安らぎもなく、物思う身は苦しいものを、あしひきの山が間に距たって、玉桙の道が遠いので使者をやるすべもないから、都を恋することばも通わせられず、たまきはる命は惜しいのだが、なすべき手段もないままに、家に籠っていて物を思い嘆き、慰められる心もなく、春の花の咲き盛る時に仲間たちと花を手折り挿頭すこともなく、春の野の繁みを飛びくぐる鶯の声さえ聞かないで、少女たちが春の菜を摘むとて紅色の赤裳の裾も春雨に美しく濡れて通っているだろう季節の盛りを、空しく過ごしやってしまったので、私を思ってくれるあなたの心を有難く思い、この夜は一晩中寝もせず、今日の日も一日中お慕いしております。
歌人 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち
歌人別名 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち
歌体 長歌
時代区分 第4期
部立 なし
季節
補足 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持
詠み込まれた地名 越中 / 富山
関連地名 【故地名】越
【故地名読み】こし
【故地説明】越前・加賀・能登・越中・越後など北陸地方の総称、現在の福井(東部)、石川・富山・新潟の諸県にあたる。
【地名】越
【現在地名】越前・越中・越後三国の総称