歌詳細

そらみつ大和の国あをによし奈良の都ゆおしてる難波に下り住吉の御津に船乗り直渡り日の入る国に遣はさゆ我が背の君をかけまくのゆゆし恐き住吉の我が大御神船の舳に領きいまし船艫にみ立ちいましてさし寄らむ磯の崎崎漕ぎ泊てむ泊まり泊まりに荒き風波にあはせず平けく率て帰りませもとの国家に

項目 内容
番号 19-4245
漢字本文(題詞) 天平五年、贈入唐使歌一首〔并短歌〕〔作主未詳〕
漢字本文 虚見都山跡乃國青丹与之平城京師由忍照難波尒久太里住吉乃三津尒舶能利直渡日入國尒所遣和我勢能君乎懸麻久乃由〻志恐伎墨吉乃吾大御神舶乃倍尒宇之波伎座舶騰毛尒御立座而佐之与良牟磯乃埼〻許藝波底牟泊〻尒荒風浪尒安波世受平久率而可敝理麻世毛等能國家尒
読み下し文(題詞) 天平五年に、入唐使に贈れる歌一首〔并せて短歌>〕〔作主いまだ詳らかならず〕
読み下し文 そらみつ大和の国あをによし奈良の都ゆおしてる難波に下り住吉の御津に船乗り直渡り日の入る国に遣はさゆ我が背の君をかけまくのゆゆし恐き住吉の我が大御神船の舳に領きいまし船艫にみ立ちいましてさし寄らむ磯の崎崎漕ぎ泊てむ泊まり泊まりに荒き風波にあはせず平けく率て帰りませもとの国家に
訓み そらみつやまとのくにあをによしならのみやこゆおしてるなにはにくだりすみのえのみつにふなのりただわたりひのいるくににつかはさゆわがせのきみをかけまくのゆゆしかしこきすみのえのあがおほみかみふなのへにうしはきいましふなどもにみたちいましてさしよらむいそのさきざきこぎはてむとまりとまりにあらきかぜなみにあはせずたひらけくゐてかへりませもとのみかどに
現代語訳 そらみつ大和の国の、あおによし奈良の都から、押し照る難波に下り、住吉の御津で船に乗って、まっすぐに海を渡って日が没する国に派遣されるわが背の君を、口にするのもはばかられる、恐れ多い住吉のわが大神たちよ、船の先に鎮(しず)まりまし、船の後にお立ちくださって、船が寄る磯の埼々や船が泊まる港々に到るまで、荒い波風に逢わせないようにして、無事におつれ帰りください。本国に。
歌人 高安倉人種麻呂 / たかやすのくらひとのたねまろ
歌体 長歌
時代区分 第4期
部立 なし
季節 なし
補足 不明//不明(作主未詳)
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】大坂の御津
【故地名読み】おおさかのみつ
【現在地名】大阪府大阪市
【故地説明】住吉神社のある港。
【故地名】唐
【故地名読み】とう
【現在地名】中華人民共和国
【故地説明】中国の唐の国→大唐・唐(もろこし)
【故地名】難波
【故地名読み】なにわ
【現在地名】大阪府
【故地説明】大阪市およびその周辺の地域。上町台地に沿った海辺を中心に難波津が営まれ、当時海内無比の要津。仁徳・孝徳・聖武の皇居も営まれた。
【故地名】奈良の都
【故地名読み】ならのみやこ
【現在地名】奈良県奈良市
【故地説明】元明天皇の和銅三(710)年3月より桓武天皇の延暦三(784)年11月まで7代714年間(天平12年より17年にかけては恭仁・紫香楽・難波に造京遷都)の帝都。京師は奈良市街地を東偏の一部として西方平野に展開していた。国立博物館と興福寺との間の南北の通じる道(京都街道)は東の京極大路、東大寺転害門から西へ佐保を経て法華寺に至る道は一条大路に当たる。
【故地名】三津(2)
【故地名読み】みつ
【現在地名】大阪府大阪市
【故地説明】住吉の御津。位置未詳。(2)→住吉
【故地名】大和の国
【故地名読み】やまとのくに
【故地説明】(倭・日本)大和朝廷の勢力のおよんだ範囲をあらわす語で、奈良県天理市大和(大和神社がある)あたりの地方名から起こり、大和中央平原部、奈良県全体、近畿一帯から日本全国の総名へと発展したという。集中の歌は大和中央平原部・大和国(奈良県全体)・日本国の総名など種々に用いている。
【地名】大和の国:奈良の都:難波:住吉の御津:住吉
【現在地名】国名としての奈良県全体。:平城京:現在の大阪市、およびその周辺の地域。:難波の江津をいうが、その位置に諸説があり、またそれらの幾つかにまたがって用いたと思われる場合もある。