歌詳細

大君の命恐み妻別れ悲しくはあれどますらをの心振り起こし取り装ひ門出をすればたらちねの母掻き撫で若草の妻取り付き平けく我は斎はむま幸くてはや帰り来とま袖もち涙を拭ひむせひつつ言問ひすれば群鳥の出で立ちかてに滞り顧みしつついや遠に国を来離れいや高に山を越え過ぎ葦が散る難波に来居て夕潮に船を浮けすゑ朝なぎに舳向け漕がむとさもらふと我が居る時に春霞島廻に立ちて鶴がねの悲しく鳴けばはろばろに家を思ひ出負ひ征箭のそよと鳴るまで嘆きつるかも

項目 内容
番号 20-4398
漢字本文(題詞) 為防人情陳思作歌一首〔并短歌〕
漢字本文 大王乃美己等可之古美都麻和可礼可奈之久波安礼特大夫情布里於許之等里与曽比門出乎須礼婆多良知祢乃波〻加伎奈埿若草乃都麻波等里都吉平久和礼波伊波〻牟好去而早還来等麻蘇埿毛知奈美太乎能其比牟世比都〻言語須礼婆群鳥乃伊埿多知加弖尒等騰己保里可弊里美之都〻伊也等保尒國乎伎波奈例伊夜多加尒山乎故要須疑安之我知流難波尒伎為弖由布之保尒船乎宇氣須恵安佐奈藝尒倍牟氣許我牟等佐毛良布等和我乎流等伎尒春霞之麻未尒多知弖多頭我祢乃悲鳴婆波呂婆呂尒伊弊乎於毛比埿於比曽箭乃曽与等奈流麻埿奈氣吉都流香母
読み下し文(題詞) 防人の情と為りて思ひを陳べて作れる歌一首〔并せて短歌〕
読み下し文 大君の命恐み妻別れ悲しくはあれどますらをの心振り起こし取り装ひ門出をすればたらちねの母掻き撫で若草の妻取り付き平けく我は斎はむま幸くてはや帰り来とま袖もち涙を拭ひむせひつつ言問ひすれば群鳥の出で立ちかてに滞り顧みしつついや遠に国を来離れいや高に山を越え過ぎ葦が散る難波に来居て夕潮に船を浮けすゑ朝なぎに舳向け漕がむとさもらふと我が居る時に春霞島廻に立ちて鶴がねの悲しく鳴けばはろばろに家を思ひ出負ひ征箭のそよと鳴るまで嘆きつるかも
訓み おほきみのみことかしこみつまわかれかなしくはあれどますらをのこころふりおこしとりよそひかどでをすればたらちねのははかきなでわかくさのつまとりつきたひらけくわれはいははむまさきくてはやかへりことまそでもちなみだをのごひむせひつつことどひすればむらとりのいでたちかてにとどこほりかへりみしつついやとほにくにをきはなれいやたかにやまをこえすぎあしがちるなにはにきゐてゆふしほにふねをうけすゑあさなぎにへむけこがむとさもらふとわがをるときにはるかすみしまみにたちてたづがねのかなしくなけばはろばろにいへをおもひでおひそやのそよとなるまでなげきつるかも
現代語訳 大君の命令を畏み、妻との別れは悲しくはあるが、大夫の心をふるい起こし、武装を固めて旅立ちすると、たらちねの母は頭を撫で、若草の妻はとりすがり「御無事にと私はお祈りをしていましょう。つつがなく早く帰って来てください」と両袖で涙をぬぐい、むせび泣きつつ語りかけるので、群鳥のように出で立つこともできず、足もしぶりがちに後ろをふりかえりつづける。そうしながら、ますます遠く故郷を離れて来、いっそう高く山を越えて来て、今蘆の花が散る難波に来ている。夕潮の中に船を浮かべ据え、朝凪に舳先を向けて漕ぎ出そうと様子を見ていると、春霞が島のまわりに立ちこめ、鶴が悲しい鳴き声をひびかせるので、遥かに家郷を思い出し、背に負うた矢が音を立てるほどに、嘆いたことだ。
歌人 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち
歌人別名 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち
歌体 長歌
時代区分 第4期
部立 なし
季節
補足 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】難波
【故地名読み】なにわ
【現在地名】大阪府
【故地説明】大阪市およびその周辺の地域。上町台地に沿った海辺を中心に難波津が営まれ、当時海内無比の要津。仁徳・孝徳・聖武の皇居も営まれた。
【地名】難波
【現在地名】大阪市およびその周辺の地域