歌詳細

大君の任のまにまに島守に我が立ち来ればははそ葉の母の命はみ裳の裾摘み上げ掻き撫でちちの実の父の命はたくづのの白ひげの上ゆ涙垂り嘆きのたばく鹿子じものただ独りして朝戸出のかなしき我が子あらたまの年の緒長く相見ずは恋しくあるべし今日だにも言問ひせむと惜しみつつ悲しびませ若草の妻も子どももをちこちにさはに囲み居春鳥の声の吟ひ白たへの袖泣き濡らし携はり別れかてにと引き留め慕ひしものを大君の命恐み玉桙の道に出で立ち丘の岬いたむるごとに万度顧みしつつはろばろに別れし来れば思ふそら安くもあらず恋ふるそら苦しきものをうつせみの世の人なればたまきはる命も知らず海原の恐き道を島伝ひい漕ぎ渡りてあり巡り我が来るまでに平けく親はいまさねつつみなく妻は待たせと住吉の我が皇神に幣奉り祈り申して難波津に船を浮けすゑ八十梶貫き水手整へて朝開き我は漕ぎ出ぬと家に告げこそ

項目 内容
番号 20-4408
漢字本文(題詞) 陳防人悲別之情歌一首〔并短歌〕
漢字本文 大王乃麻氣乃麻尒〻〻嶋守尒和我多知久礼婆波〻蘇婆能波〻能美許等波美母乃須蘇都美安氣可伎奈埿知〻能未乃知〻能美許等波多久頭努能之良比氣乃宇倍由奈美太多利奈氣伎乃多婆久可胡自母乃多太比等里之氐安佐刀埿乃可奈之伎吾子安良多麻乃等之能乎奈我久安比美受波古非之久安流倍之今日太尒母許等騰比勢武等乎之美都〻可奈之備麻世若草之都麻母古騰母毛乎知己知尒左波尒可久美為春鳥乃己恵乃佐麻欲比之路多倍乃蘇埿奈伎奴良之多豆佐波里和可礼加弖尒等比伎等騰米之多比之毛能乎天皇乃美許等可之古美多麻保己乃美知尒出立乎可乃佐伎伊多牟流其等尒与呂頭多妣可弊里見之都追波呂〻〻尒和可礼之久礼婆於毛布蘇良夜須久母安良受古布流蘇良久流之伎毛乃乎宇都世美乃与能比等奈礼婆多麻伎波流伊能知母之良受海原乃可之古伎美知乎之麻豆多比伊己芸和多利弖安里米具利和我久流麻埿尒多比良氣久於夜波伊麻佐祢都〻美奈久都麻波麻多世等須美乃延能安我須賣可未尒奴佐麻都利伊能里麻乎之弖奈尒波都尒船乎宇氣須恵夜蘇加奴伎可古等登能倍弖安佐婢良伎和波己藝埿奴等伊弊尒都氣己曽
読み下し文(題詞) 防人の別れを悲しぶる情を陳べたる歌一首〔并せて短歌〕
読み下し文 大君の任のまにまに島守に我が立ち来ればははそ葉の母の命はみ裳の裾摘み上げ掻き撫でちちの実の父の命はたくづのの白ひげの上ゆ涙垂り嘆きのたばく鹿子じものただ独りして朝戸出のかなしき我が子あらたまの年の緒長く相見ずは恋しくあるべし今日だにも言問ひせむと惜しみつつ悲しびませ若草の妻も子どももをちこちにさはに囲み居春鳥の声の吟ひ白たへの袖泣き濡らし携はり別れかてにと引き留め慕ひしものを大君の命恐み玉桙の道に出で立ち丘の岬いたむるごとに万度顧みしつつはろばろに別れし来れば思ふそら安くもあらず恋ふるそら苦しきものをうつせみの世の人なればたまきはる命も知らず海原の恐き道を島伝ひい漕ぎ渡りてあり巡り我が来るまでに平けく親はいまさねつつみなく妻は待たせと住吉の我が皇神に幣奉り祈り申して難波津に船を浮けすゑ八十梶貫き水手整へて朝開き我は漕ぎ出ぬと家に告げこそ
訓み おほきみのまけのまにまにしまもりにわがたちくればははそばのははのみことはみものすそつみあげかきなでちちのみのちちのみことはたくづののしらひげのうへゆなみだたりなげきのたばくかこじものただひとりしてあさとでのかなしきわがこあらたまのとしのをながくあひみずはこひしくあるべしけふだにもことどひせむとをしみつつかなしびませわかくさのつまもこどももをちこちにさはにかくみゐはるとりのこゑのさまよひしろたへのそでなきぬらしたづさはりわかれかてにとひきとどめしたひしものをおほきみのみことかしこみたまほこのみちにいでたちをかのさきいたむるごとによろづたびかへりみしつつはろばろにわかれしくればおもふそらやすくもあらずこふるそらくるしきものをうつせみのよのひとなればたまきはるいのちもしらずうなはらのかしこきみちをしまづたひいこぎわたりてありめぐりわがくるまでにたひらけくおやはいまさねつつみなくつまはまたせとすみのえのあがすめかみにぬさまつりいのりまをしてなにはつにふねをうけすゑやそかぬきかこととのへてあさびらきわはこぎでぬといへにつげこそ
現代語訳 天皇の任命のままに、島守として旅立ちしてくると、ははそ葉の母君は、御裳の裾をつまみあげてわが頭を撫で、ちちの実の父君は、栲綱のように白い鬚の上に涙を流して嘆きおっしゃることには「鹿の子ではないが、たったひとり朝戸を開けて出てゆくかわいいわが子よ、あらたまの年月長く逢えないなら、どんなにか恋しいことだろう。せめて今日の一日だけでも語りあおう」と別れを惜しみつつ悲しんでおられると、若草の妻子たちもあちこちと大勢私をとりかこみ、春鳥のような声で嘆き悲しみ、白栲の袖を泣き濡らし、手を握り別れられないとひきとどめて慕ったものを。しかし天皇の命令が恐れ多いので、玉桙の道に旅立ち、丘の端をめぐり行くたびに、幾度もふり返りつつ、遥かに家を別れて来たので、物思う身は安らかならず、恋い慕う身は苦しいものだ。われわれは現実の世の人間だから、たまきはる命は知りがたい。だから、海原の恐ろしい道のりを、島伝いに漕ぎ渡っていって、あちこちと廻って帰ってくるまで、無事に父母はませ、支障なく妻は待て、と、住吉の航路の神に幣をささげ、お祈りして、難波津に船を浮かべ据え、楫(かじ)を一面に貫き、水夫を整えて朝の港を漕ぎ出してゆく。そうであったと、家に告げてほしい。
歌人 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち
歌人別名 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち
歌体 長歌
時代区分 第4期
部立 なし
季節
補足 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】住吉
【故地名読み】すみのえ
【現在地名】大阪府大阪市住吉区
【故地説明】大阪市住吉区を中心とした一帯の地。海神をまつる住吉神社がある。当時開港場として知られていた。
【故地名】難波津
【故地名読み】なにわつ
【現在地名】大阪府
【故地説明】難波の港。大阪市の上町台地に沿って、大伴の御津・住吉の津などがあった。→三津(1)・住吉(すみのえ)
【地名】住吉:難波津
【現在地名】大阪市住吉区。:難波の江津をいうが、その位置について諸説があり、またそれらの幾つかにまたがって用いたと思われる場合もある。