歌詳細

後れにし人を偲はく思泥の崎木綿取り垂でて幸くとそ思ふ

項目 内容
番号 6-1031
漢字本文(題詞) 丹比屋主真人歌一首
漢字本文 後尒之人乎思久四泥能埼木綿取之泥而好住跡其念
漢字本文(左注) 右案、此歌者、不有此行之作乎。所以然言、勅大夫、従河口行宮還京、勿令従駕焉。
何有詠思泥埼作歌哉
読み下し文(題詞) 丹比屋主真人の歌一首
読み下し文 後れにし人を偲はく思泥の崎木綿取り垂でて幸くとそ思ふ
読み下し文(左注) 右は案ふるに、この歌は、この行の作にあらぬか。然いふ所以は、大夫に勅して、河口の行宮より京に還らしめ、従駕せしめしことなし。
何そ思泥の崎を詠めて歌を作ることあらむ。
訓み おくれにしひとをしのはくしでのさきゆふとりしでてさきくとそおもふ
現代語訳 後に残した人を恋しく思っては、四泥の崎で幣をとりしでて、無事でいてくれと思うことだ。
現代語訳(左注) 右は、今考えてみると、この歌はこの行幸時の作ではあるまい。なぜなら屋主に命じて河口の行宮から都に帰らせ、供に加えたことはない。
どうして思泥の崎を見て歌を作ろうか。
歌人 丹比真人屋主 / たぢひのまひとやぬし
歌人別名 屋主真人, 丹比屋主真人, 屋主真人, 大夫 / やぬしのまひと
歌体 短歌
時代区分 第3期
部立 雑歌
季節 なし
補足 丹比屋主/たぢやのぬし/丹比屋主【丹比屋主真人】
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】河口の行宮
【故地名読み】かわぐちのかりみや
【現在地名】三重県津市白山町
【故地説明】関の宮ともいわれ、この地にあった行宮。遺址は小字御城の医王寺付近と伝えられる。天平12(740)年11月聖武天皇は10日間滞在、藤原広嗣逮捕の報告を受けた。
【故地名】四泥の崎
【故地名読み】しでのさき
【現在地名】三重県四日市市
【故地説明】三重県四日市市大宮町(『神名帳』の朝明郡志氏神社の地)にあった出洲。
【地名】思泥の崎
【現在地名】三重県四日市市羽津