歌詳細

三香原久邇の都は山高く川の瀬清し住み良しと人は言へどもあり良しと我は思へど古りにし里にしあれば国見れど人も通はず里見れば家も荒れたりはしけやしかくありけるか三諸つく鹿脊山のまに咲く花の色めづらしく百鳥の声なつかしきありが欲し住みよき里の荒るらく惜しも

項目 内容
番号 6-1059
漢字本文(題詞) 春日、悲傷三香原荒墟作歌一首〔并短歌〕
漢字本文 三香原久迩乃京師者山高河之瀬清住吉迹人者雖云在吉跡吾者雖念故去之里尒四有者国見跡人毛不通里見者家裳荒有波之異耶如此在家留可三諸着鹿脊山際尒開花之色目列敷百鳥之音名束敷在杲石住吉里乃荒楽苦惜哭
読み下し文(題詞) 春の日に、三香原の荒れたる墟を悲しび傷みて作れる歌一首〔并せて短歌〕
読み下し文 三香原久邇の都は山高く川の瀬清し住み良しと人は言へどもあり良しと我は思へど古りにし里にしあれば国見れど人も通はず里見れば家も荒れたりはしけやしかくありけるか三諸つく鹿脊山のまに咲く花の色めづらしく百鳥の声なつかしきありが欲し住みよき里の荒るらく惜しも
訓み みかのはらくにのみやこはやまたかくかはのせきよしすみよしとひとはいへどもありよしとわれはおもへどふりにしさとにしあればくにみれどひともかよはずさとみればいへもあれたりはしけやしかくありけるかみもろつくかせやまのまにさくはなのいろめづらしくももとりのこゑなつかしきありがほしすみよきさとのあるらくをしも
現代語訳 三香の原の久迩の都は、山が高く川の瀬も清らかである。住むによい処と人は言うが、居るによい地と私は思うが、すでに古くなった里なので、国を見ても人も通っていないし、里を見ても人家は荒れさびれている。いとしいことよ、このようになってしまったのか。神の降臨をいつく鹿背山のほとりに咲く花の色も愛すべく、鳥々の声も心ひかれる。居たいと願い住むによいこの里の、荒れるだろうことが惜しいよ。
歌人 田辺福麻呂之歌集 / たなべのさきまろのかしふ
歌体 長歌
時代区分 第4期
部立 雑歌
季節
補足 田辺福麻呂/たなべのさきまろ/田辺福麻呂【田辺福麻呂之歌集出】
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】鹿背山
【故地名読み】かせやま
【現在地名】京都府相楽郡木津町
【故地説明】京都府相楽郡木津町鹿背山。木津町の東北部、木津川南岸の山。恭仁京はこの山の西の道をもって左右両京に分かたれた。
【故地名】久迩の都
【故地名読み】くにのみやこ
【現在地名】京都府相楽郡
【故地説明】天平12(740)年12月から同16年2月までの聖武天皇の帝都。大養徳恭仁大宮ともいう。中央を東西の木津川(泉川)が貫流し、鹿背山の東は瓶原盆地、西は木津平地、南北は山に囲まれた区域、皇城は加茂町例幣を中心とする一帯、大極殿址は瓶原小学校(登大路)裏の国分寺址に土壇と礎石をのこし、皇居址はその北方小字立川の京城芝の地という。
【故地名】三香の原
【故地名読み】みかのはら
【現在地名】京都府相楽郡加茂町
【故地説明】京都府相楽郡加茂町。鹿背山丘陵地の東方および東北方にひろがる、山にかこまれた瓶原盆地。盆地を東西に木津川が流れ、河北に久迩の都が営まれた。
【地名】三香原:久邇の都:鹿脊山
【現在地名】京都府相楽郡加茂町。鹿背山の東北方に広がる盆地:京都府相楽郡加茂町を中心に、一部、木津・山城の諸町にまたがる:京都府相楽郡木津町の東北部にある山