歌詳細

秋萩を妻問ふ鹿こそ独り子に子持てりといへ鹿子じもの我が独り子の草枕旅にし行けば竹玉をしじに貫き垂り斎瓮に木綿取り垂でて斎ひつつ我が思ふ我が子ま幸くありこそ

項目 内容
番号 9-1790
漢字本文(題詞) 天平五年癸酉、遣唐使舶發難波入海之時、親母贈子歌一首〔并短歌〕
漢字本文 秋芽子乎妻問鹿許曽一子二子持有跡五十戸鹿児自物吾獨子之草枕客二師往者竹珠乎密貫垂斎戸尒木綿取四手而忌日管吾思吾子真好去有欲得
読み下し文(題詞) 天平五年癸酉、遣唐使の船の難波を発ちて海に入りし時に、親母の、子に贈れる歌一首〔并せて短歌〕
読み下し文 秋萩を妻問ふ鹿こそ独り子に子持てりといへ鹿子じもの我が独り子の草枕旅にし行けば竹玉をしじに貫き垂り斎瓮に木綿取り垂でて斎ひつつ我が思ふ我が子ま幸くありこそ
訓み あきはぎをつまどふかこそひとりごにこもてりといへかこじものわがひとりごのくさまくらたびにしゆけばたかだまをしじにぬきたりいはひべにゆふとりしでていはひつつわがもふわがこまさきくありこそ
現代語訳 秋の萩を妻として求める鹿こそ、一人子の子を持っているという。鹿の子ではないが、そのようなたった一人の私の子が草を枕の旅に行くので、竹珠をたくさん貫き通して垂らし、神を祭る壷に木綿の幣(ぬさ)をとりつけ垂らし、忌み慎みつつ心に念ずる。そんなわが子よ。無事であってほしい。
歌人 親母 (2) / はは
歌体 長歌
時代区分 不明
部立 相聞歌
季節 なし
補足 不明//
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】唐
【故地名読み】とう
【現在地名】中華人民共和国
【故地説明】中国の唐の国→大唐・唐(もろこし)
【故地名】難波
【故地名読み】なにわ
【現在地名】大阪府
【故地説明】大阪市およびその周辺の地域。上町台地に沿った海辺を中心に難波津が営まれ、当時海内無比の要津。仁徳・孝徳・聖武の皇居も営まれた。