歌詳細

葦屋の菟原処女の八歳子の片生ひの時ゆ小放りに髪たくまでに並び居る家にも見えず虚木綿の隠りてませば見てしかといぶせむ時の垣ほなす人の問ふ時千沼壮士菟原壮士の廬屋焼くすすし競ひ相よばひしける時は焼大刀の手かみ押しねり白真弓靫取り負ひて水に入り火にも入らむと立ち向かひ競ひし時に吾妹子が母に語らく倭文たまき賎しき我が故ますらをの争ふ見れば生けりとも逢ふべくあれやししくしろ黄泉に待たむと隠り沼の下延へ置きてうち嘆き妹が去ぬれば千沼壮士その夜夢に見取り続き追ひ行きければ後れたる菟原壮士い天仰ぎ叫びおらび足ずりしきかみたけびてもころ男に負けてはあらじと掛け佩きの小大刀取り佩きところづら尋め行きければ親族どちい行き集ひ永き代に標にせむと遠き代に語り継がむと処女墓中に造り置き壮士墓此方彼方に造り置ける故縁聞きて知らねども新喪のごとも音泣きつるかも

項目 内容
番号 9-1809
漢字本文(題詞) 見菟原處女墓歌一首〔并短歌〕
漢字本文 葦屋之菟名負處女之八年兒之片生之時従小放尒髪多久麻弖尒並居家尒毛不所見虚木綿乃牢而座在者見而師香跡悒憤時之垣廬成人之誂時智弩壯士宇奈比壯士乃廬八燎須酒師競相結婚為家類時者焼大刀乃手穎押祢利白檀弓靫取負而入水火尒毛将入跡立向競時尒吾妹子之母尒語久倭文手纏賎吾之故大夫之荒争見者雖生應合有哉宍串呂黄泉尒将待跡隠沼乃下延置而打歎妹之去者血沼壮士其夜夢見取次寸追去祁礼婆後有菟原壯士伊仰天■(口+刂)於良妣■(足+昆)地牙喫建怒而如己男尒負而者不有跡懸佩之小剣取佩冬〓蕷都良尋去祁礼婆親族共射帰集永代尒標将為跡遐代尒語将継常處女墓中尒造置壯士墓此方彼方二造置有故縁聞而雖不知新喪之如毛哭泣鶴鴨
読み下し文(題詞) 菟原処女の墓を見たる歌一首〔并せて短歌〕
読み下し文 葦屋の菟原処女の八歳子の片生ひの時ゆ小放りに髪たくまでに並び居る家にも見えず虚木綿の隠りてませば見てしかといぶせむ時の垣ほなす人の問ふ時千沼壮士菟原壮士の廬屋焼くすすし競ひ相よばひしける時は焼大刀の手かみ押しねり白真弓靫取り負ひて水に入り火にも入らむと立ち向かひ競ひし時に吾妹子が母に語らく倭文たまき賎しき我が故ますらをの争ふ見れば生けりとも逢ふべくあれやししくしろ黄泉に待たむと隠り沼の下延へ置きてうち嘆き妹が去ぬれば千沼壮士その夜夢に見取り続き追ひ行きければ後れたる菟原壮士い天仰ぎ叫びおらび足ずりしきかみたけびてもころ男に負けてはあらじと掛け佩きの小大刀取り佩きところづら尋め行きければ親族どちい行き集ひ永き代に標にせむと遠き代に語り継がむと処女墓中に造り置き壮士墓此方彼方に造り置ける故縁聞きて知らねども新喪のごとも音泣きつるかも
訓み あしのやのうなひをとめのやとせごのかたおひのときゆをはなりにかみたくまでにならびをるいへにもみえずうつゆふのこもりてませばみてしかといぶせむときのかきほなすひとのとふときちぬをとこうなひをとこのふせややくすすしきほひあひよばひしけるときはやきたちのたがみおしねりしらまゆみゆぎとりおひてみづにいりひにもいらむとたちむかひきほひしときにわぎもこがははにかたらくしづたまきいやしきわがゆゑますらをのあらそふみればいけりともあふべくあれやししくしろよみにまたむとこもりぬのしたはへおきてうちなげきいもがいぬればちぬをとこそのよいめにみとりつつきおひゆきければおくれたるうなはらをとこいあめあふぎさけびおらびあしずりしきかみたけびてもころをにまけてはあらじとかけはきのをだちとりはきところづらとめゆきければうからどちいゆきつどひながきよにしるしにせむととほきよにかたりつがむとをとめづかなかにつくりおきをとこづかこなたかなたにつくりおけるゆゑよしききてしらねどもにひものごともねなきつるかも
現代語訳 葦屋のうない処女が八歳児として半ばおい育った時から、放髪の髪に髪をたばねる年まで、並びすむ家にも顔を見せず虚木綿にかこまれるようにこもっておられたので、何とか結婚したいと、人々が心晴れやらず思い、とりかこむ垣根のように人々が求婚した時、わけても血沼壮士とうない壮士とが廬屋を焼く火のごとく激しく争って求婚した時には、彼らは焼き太刀の柄をひねり握り、白檀弓をとり靫をせおい、水にも火にも入ろうと立ち向かっていって争ったが、その時処女が母に言うには「倭文手纏のごとく賤しい自分のために、大夫が争っているのを見ると、たとえ生きていたとて、結婚することができましょうか。ししくしろの黄泉で待ちます」といった。そう隠り沼のようにひそかに考えて運命を嘆きながら処女が死ぬと、血沼壮士はその夜夢に見て、すぐ続いて後を追ったので、後れをとった菟原壮士は天を仰ぎ大声をあげ、足ずりをし歯をくいしばり、雄建びをあげて、相手に負けてはならじと、腰にさげ佩く小剣を身につけ、ところ葛のように後をたずねて逝ってしまったので、親族たちが集まって来て、後永き代のしるしとし、末長く語り伝えようとして、処女墓を中に造っておき、壮士墓を両側に造っておいた。その由来を聞いて、わが身にかかわらぬことながら、新たな喪のごとくにも声をあげて泣いたことだ。
歌人 高橋連虫麻呂歌集 / たかはしのむらじむしまろのかしふ
歌体 長歌
時代区分 第3期
部立 挽歌
季節 なし
補足 高橋虫麻呂/たかはしのむしまろ/高橋虫麻呂【高橋連虫麻呂之歌集】
詠み込まれた地名 播磨 / 兵庫
関連地名 【故地名】葦屋
【故地名読み】あしや
【現在地名】兵庫県
【故地説明】兵庫県芦屋市及び神戸市東部一帯の地。六甲山南麓一帯を広く称した。あしのやとも。
【故地名】菟名日
【故地名読み】うない
【故地説明】普通名詞。一説に地名。→菟原(うはら)
【故地名】菟原
【故地名読み】うわら
【現在地名】兵庫県
【故地説明】摂津国の郡名。兵庫県芦屋市・神戸市東区の六甲山南麓の沿岸の地。
【故地名】血沼
【故地名読み】ちぬ
【現在地名】大阪府
【故地説明】和泉国の古名で芽渟県(ちぬのあがた)ともいう。大阪府の南西部。堺市から岸和田市にかけての海岸。
【故地名】黄泉
【故地名読み】よみ
【故地説明】地下にあって死者の行くところ、死の国。
【故地名】壮士墓
【故地名読み】おとこづか
【現在地名】兵庫県神戸市
【故地説明】兵庫県神戸市東灘区住吉宮町1丁目にある通称求女塚を血沼壮士(ちぬおこと)の墓、灘区味泥(みどろ)町3丁目にある通称求女塚を菟原壮士(うなひおとこ)の墓と伝える。両者は処女塚の東西各1.5キロほどのところ。
【故地名】処女の墓
【故地名読み】おとめのつか
【現在地名】兵庫県神戸市
【故地説明】兵庫県神戸市東灘区御影塚町2丁目にある通称乙女塚は菟原処女(うなひおとめ)の墓と伝える。