歌詳細

敷たへの袖かへし君玉垂の越智野過ぎ行くまたも逢はめやも〔一に云ふ、越智野に過ぎぬ〕

項目 内容
番号 2-195
漢字本文(題詞) 反歌一首
漢字本文 敷妙乃袖易之君玉垂之越野過去亦毛将相八方〔一云、乎知野尒過奴〕
漢字本文(左注) 右或本曰、葬河嶋皇子越智野之時、獻泊瀬部皇女歌也。
日本紀云、朱鳥五年辛卯秋九月己巳朔丁丑、浄大参皇子川嶋薨。
読み下し文(題詞) 反歌一首
読み下し文 敷たへの袖かへし君玉垂の越智野過ぎ行くまたも逢はめやも〔一に云ふ、越智野に過ぎぬ〕
読み下し文(左注) 右は或る本に曰はく「河島皇子を越智野に葬りし時に、泊瀬部皇女に献れる歌なり」といへり。
日本紀に日はく「朱鳥五年辛卯の秋九月己巳の朔の丁丑、浄大参皇子川島薨りましぬ」といへり。
訓み しきたへのそでかへしきみたまたれのをちのすぎゆくまたもあはめやも〔いつにいふ、をちのにすぎぬ〕
現代語訳 美しい袖を交わしたあなたは玉を貫く越智野にお隠れになる。ふたたび逢うことはあるのだろうか〔越智野にお隠れになってしまった〕。
現代語訳(左注) 右は、或る本では「河島皇子を越智野に埋葬した時に、泊瀬部皇女に献上した歌である」という。
日本書紀には「朱鳥五年九月九日に川島皇子が薨去した」とある。
歌人 柿本朝臣人麻呂 / かきのもとのあそみひとまろ
歌人別名 人麻呂
歌体 短歌
時代区分 第2期
部立 挽歌
季節 なし
補足 柿本人麻呂/かきのもとのひとまろ/柿本人麻呂
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】越智野
【故地名読み】おちの
【現在地名】奈良県高市郡高取町
【故地説明】奈良県高市郡高取町大字越智を中心とする一帯の地。越智の南、同町車木に斉明天皇の越智岡上陵、東北に橿原市北越智町があり、それらを含む丘陵地、西方は曽我川に沿う平野。河島皇子墓は所在未詳。一説に明日香村越。
【地名】越智野:〈越智野〉
【現在地名】奈良県高市郡高取町越野を中心とする一帯:<奈良県高市郡高取町越野を中心とする一帯>