歌詳細

泣沢の神社に神酒据ゑ祈れどもわご大君は高日知らしぬ

項目 内容
番号 2-202
漢字本文(題詞) 或書反歌一首
漢字本文 哭澤之神社尒三輪須恵雖禱祈我王者高日所知奴
漢字本文(左注) 右一首類聚歌林曰、檜隈女王、怨泣澤神社之歌也。
案日本紀云、十年丙申秋七月辛丑朔庚戌、後皇子尊薨。
読み下し文(題詞) 或る書の反歌一首
読み下し文 泣沢の神社に神酒据ゑ祈れどもわご大君は高日知らしぬ
読み下し文(左注) 右の一首は、類聚歌林に曰はく「檜隈女王の、泣沢神社を怨むる歌」といへり。
日本紀を案ふるに云はく「十年丙申の秋七月辛丑の朔の庚戌に、後皇子尊薨りましぬ」といへり。
訓み なきさはのもりにみわすゑいのれどもわごおほきみはたかひしらしぬ
現代語訳 泣沢の神の社に、神酒を捧げて祈るけれども、わが大君は、高く日の神として天をお治めになってしまった。
現代語訳(左注) 右の一首は類聚歌林では「檜隈女王が泣沢神社を怨んだ歌だ」という。
日本書紀を見ると「持統十年七月十日に高市皇子が薨じた」という。
歌人 桧隈女王 / ひのくまのおほきみ
歌体 短歌
時代区分 第2期
部立 挽歌
季節 なし
補足 柿本人麻呂/かきのもとのひとまろ/桧隈女王
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】泣沢の神社
【故地名読み】なきさわのもり
【現在地名】奈良県橿原市
【故地説明】奈良県橿原市木之本町にある畝尾都多本神社。香具山の西麓の小社。
【地名】泣沢の神社
【現在地名】橿原市木之本町の畝尾都多本神社