歌詳細

やすみししわご大君高照らす日の御子の聞し食す御食つ国神風の伊勢の国は国見ればしも山見れば高く貴し川見ればさやけく清し湊なす海も広し見渡しの島も名高しここをしもまぐはしみかもかけまくもあやに恐し山辺の五十師の原にうちひさす大宮仕へ朝日なすまぐはしも夕日なすうらぐはしも春山のしなひ栄えて秋山の色なつかしきももしきの大宮人は天地と日月と共に万代にもが

項目 内容
番号 13-3234
漢字本文 八隅知之和期大皇高照日之皇子之聞食御食都国神風之伊勢乃国者国見者之毛山見者高貴之河見者左夜氣久清之水門成海毛広之見渡嶋名高之己許乎志毛間細美香母挂巻毛文尒恐山邊乃五十師乃原尒内日刺大宮都可倍朝日奈須目細毛暮日奈須浦細毛春山之四名比盛而秋山之色名付思吉百礒城之大宮人者天地与日月共万代尒母我
読み下し文 やすみししわご大君高照らす日の御子の聞し食す御食つ国神風の伊勢の国は国見ればしも山見れば高く貴し川見ればさやけく清し湊なす海も広し見渡しの島も名高しここをしもまぐはしみかもかけまくもあやに恐し山辺の五十師の原にうちひさす大宮仕へ朝日なすまぐはしも夕日なすうらぐはしも春山のしなひ栄えて秋山の色なつかしきももしきの大宮人は天地と日月と共に万代にもが
訓み やすみししわごおほきみたかてらすひのみこのきこしをすみけつくにかむかぜのいせのくにはくにみればしもやまみればたかくたふとしかはみればさやけくきよしみなとなすうみもひろしみわたしのしまもここをしもまぐはしみかもかけまくもあやにかしこしやまのへのいしのはらにうちひさすおほみやつかへあさひなすまぐはしもゆふひなすうらぐはしもはるやまのしなひさかえてあきやまのいろなつかしきおほみやびとはあめつちとひつきとともによろづよにもが
現代語訳 八方をお治めになるわが大君、高く照らす太陽の御子、その支配なさる御食の国たる神風の伊勢の国は、国を見るとああ、山を見ると高く貴く、川を見ると鮮かに清らかである。水門を作る海も広々と、見渡される島も一々名高い。――このことをおほめになってか、口にするのもふしぎに恐れ多い。山の辺の五十師の原に、日の輝く大宮を営まれる。そこに奉仕すると、大宮は朝日の如くきらきらしいよ。夕日のように心から美しいよ。春山の如くしなやかに栄えて、秋山のように色どりの目だつ、百しきの大宮人たちは、天地や日月とともに永遠にあれかし。
歌人 作者未詳 /
歌体 長歌
時代区分 不明
部立 雑歌
季節 なし
補足 不明//
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】五十師の原
【故地名読み】いしのはら
【現在地名】三重県
【故地説明】三重県内、所在未詳。→山辺
【故地名】伊勢の国
【故地名読み】いせのくに
【現在地名】三重県
【故地説明】国名。三重県の中央部から東北部にかけての地。
【故地名】山辺の五十師の原
【故地名読み】やまのべのいしのはら
【現在地名】三重県
【故地説明】所在未詳。
【地名】伊勢の国:山辺の五十師の原
【現在地名】国名。三重県の中央から東北部にかけての一帯。ただし、この南にある志摩国などをふくめた多少不正確な呼び方が、当時、一般には行われていた。:所在未詳。