歌詳細

わが盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ

項目 内容
番号 3-331
漢字本文(題詞) 帥大伴卿歌五首
漢字本文 吾盛復将變八方殆寧樂京乎不見歟将成
読み下し文(題詞) 帥大伴卿の歌五首
読み下し文 わが盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
訓み わがさかりまたをちめやもほとほとにならのみやこをみずかなりなむ
現代語訳 私の命の盛りは、ふたたび若返って訪れることがあろうか。いや、ほとんど奈良の都を見ずじまいになってしまうのではなかろうか。
歌人 大伴宿禰旅人 / おほとものすくねたびと
歌人別名 師, 大納言, 大伴卿, 老, 大伴淡等, 大伴卿, 僕, 主人, 帥, 帥老, 大納言, 大納言卿, 大宰帥, 中納言, 後人, 卿 / そち, だいなごん
歌体 短歌
時代区分 第3期
部立 雑歌
季節 なし
補足 大伴旅人/おほとものたびと/大伴旅人【帥大伴卿】
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】奈良の都
【故地名読み】ならのみやこ
【現在地名】奈良県奈良市
【故地説明】元明天皇の和銅三(710)年3月より桓武天皇の延暦三(784)年11月まで7代714年間(天平12年より17年にかけては恭仁・紫香楽・難波に造京遷都)の帝都。京師は奈良市街地を東偏の一部として西方平野に展開していた。国立博物館と興福寺との間の南北の通じる道(京都街道)は東の京極大路、東大寺転害門から西へ佐保を経て法華寺に至る道は一条大路に当たる。
【地名】奈良の京
【現在地名】奈良市