歌詳細
項目 | 内容 |
---|---|
番号 | 巻13-3324 |
漢字本文(部立) | 挽歌 |
漢字本文 | 挂纏毛文恐藤原王都志弥美尒人下満雖有君下大座常徃向年緒長仕来君之御門乎如天仰而見乍雖畏思憑而何時可聞日足座而十五月之多田波思家武登吾思皇子命者春避者殖槻於之遠人待之下道湯登之而国見所遊九月之四具礼乃秋者大殿之砌志美弥尒露負而靡芽子乎珠手次懸而所偲三雪零冬朝者刺楊根張梓矣御手二所取賜而所遊我王矣烟立春日暮喚犬追馬鏡雖見不飽者万歳如是霜欲得常大船之憑有時尒涙言目鴨迷大殿矣振放見者白細布餝奉而内日刺宮舎人方〔一云、者〕雪穂麻衣服者夢鴨現前鴨跡雲入夜之迷間朝裳吉城於道従角障経石村乎見乍神葬葬奉者徃道之田付■(口+刂)不知雖思印乎無見雖歎奥香乎無見御袖徃触之松矣言不問木雖在荒玉之立月毎天原振放見管珠手次懸而思名雖恐有 |
読み下し文(部立) | 挽歌 |
読み下し文 | かけまくもあやに恐し藤原の都しみみに人はしも満ちてあれども君はしも多くいませど行き向ふ年の緒長く仕へ来し君の御門を天のごと仰ぎて見つつ恐けど思ひ頼みていつしかも日足らしまして望月のたたはしけむと我が思へる皇子の命は春されば植槻が上の遠つ人松の下道ゆ登らして国見遊ばし九月のしぐれの秋は大殿の砌しみみに露負ひてなびける萩を玉だすきかけてしのはしみ雪降る冬の朝は刺し柳根張り梓を大御手に取らしたまひて遊ばしし我が大君を煙立つ春の日暮らしまそ鏡見れど飽かねば万代にかくしもがもと大船の頼める時に泣き言ふに目かも迷へる大殿をふりさけ見れば白たへに飾り奉りてうちひさす宮の舎人も〔一に云ふ、「は」〕たへのほの麻衣着れば夢かも現かもと曇り夜の迷へる間にあさもよし城上の道ゆつのさはふ磐余を見つつ神葬り葬り奉れば行く道のたづきを知らに思へども験をなみ嘆けども奥かをなみ大御袖行き触れし松を言問はぬ木にはあれどもあらたまの立つ月ごとに天の原ふりさけ見つつ玉だすきかけて偲はな恐かれども |
訓み | かけまくもあやにかしこしふじはらのみやこしみみにひとはしもみちてあれどもきみはしもおほくいませどゆきむかふとしのをながくつかへこしきみのみかどをあめのごとあふぎてみつつかしこけどおもひいつしかもひたらしましてもちつきのたたはしけむとわがもへるみこのみことははるさればうゑつきがうへのとほつひとまつのしたぢゆのぼらしてくにみあそばしながつきのしぐれのあきはおほとののみぎつゆおひてなびけるはぎをたまたすきかけてしのはしみゆきふるふゆのあしたはさしやなぎねはりあづさをおほみてにとらしたまひてあそばししわがおほきみをけぶりたつはるのひくらしまそかがみみれどよろづよにかくしもがもとおほぶねのたのめるときになきいふにめかもまとへるおほとのをふりさけみればしろたへにかざりまつりてうちひさすみやのとねりも〔一云、は〕たへのほのあさぎぬければいめうつつかもとくもりよのまとへるほとにあさもよしきのへのみちゆつのさはふいはれをみつつかむはふりはふりまつればゆくみちのたづきをしらにおもへどもしるしをなみなげけどもおくかをなみおほみそゆきふれしまつをことどはぬきにはあれどあらたまのたつつきごとにあまのはらふりさけみつつたまたすきかけてしのはなかしこかれども |
現代語訳(部立) | 挽歌 |
現代語訳(標目) | 挽歌 |
現代語訳(題詞) | 挽歌 |
現代語訳(序文など) | 挽歌 |
現代語訳 | 口で申すのも何ともおそれ多い。藤原の都にはたくさん人が満ちているが、貴い方も多くおられるが、去りまた来る年月を長く仕えて来た、このわが君の御殿を、天上のように仰ぎ見つづけ、恐れ多くはあるがお頼り申し上げて、成人なさって望月のように満ちたりなさるのはいつだろう、早くそうなってほしいと思ってきた。その皇子様は、春になると、殖槻のほとりの、遠い人を待つ松の下道を通って山に登り、国見をなさり、九月の時雨降る秋は、御殿の砌に、一面に露をのせて靡く萩を、玉襷をかけるごとく心にかけてお偲びになり、み雪降る冬の朝は、刺木の楊の根を張る如く弦を張った梓弓をお手にとって、狩をなさった。わが大君は、空が曇りこめる春の日とて一日中真澄鏡のように見飽きないので、永遠の後代まで、かくあってほしいと、大船の如く頼りにしていた時に、泣いて語るので目も迷ったのだろうか、御殿をふり仰いで見ると、白布で蔽いお飾りし、日が輝く宮の舎人たちも〔は〕、まっ白な麻の喪服を着ているので、夢だろうか現実だろうかと、曇り夜のように心が迷っている間に、麻の裳もよい城上の道を通って、角さわる石村を見ながら、神々しく神葬りにお送り申し上げる。私はどう道を行くか、その方法も知らず、いかに思ったとてその甲斐がないので、嘆きの果ても知らず、大君の袖が行きふれた松を、ことばを語らぬ木ではあるにしても、あら玉の月の代わるたびに、天上にふり仰ぎ見つつ、玉襷のように心にかけてお慕いしよう。恐れ多くはあるが。 |
歌人 | 作者未詳 / |
歌体 | 長歌 |
時代区分 | 不明 |
部立 | 挽歌 |
季節 | なし |
補足 | 不明// |
詠み込まれた地名 | 不明 / 不明 |
関連地名 | 【故地名】磐余 【故地名読み】いわれ 【現在地名】奈良県 【故地説明】奈良県桜井市池之内から橿原市東池尻町にかけての一帯の地か。 【故地名】殖槻 【故地名読み】うえつき 【現在地名】奈良県大和郡山市 【故地説明】奈良県大和郡山市の郡山城址の北にある殖槻八幡(天武期の殖槻寺址と伝える)付近か。 【故地名】城上の道 【故地名読み】きのえのみち 【現在地名】奈良県北葛城郡広陵町 【故地説明】奈良県北葛城郡広陵町大字大塚・三吉あたりか。他に同郡河合町説、飛鳥の香具山付近説もある。 【故地名】藤原の都 【故地名読み】ふじわらのみやこ 【現在地名】奈良県橿原市 【故地説明】持統(8〈694〉年12月より)・文武・元明天皇(和銅3〈710〉年3月まで)の皇后。京域は高殿町を中心に、北に耳成山、東に香具山、西の畝傍山を望む三山鼎立の、中央よりやや東寄りの広大な平地。 【地名】藤原の都:植槻が上:城上の道:磐余 【現在地名】奈良県橿原市醍醐町・高殿町の一帯にかつてあった帝都。:奈良県大和郡山市郡山城の東北、殖槻八幡神社の辺りか。:奈良県北葛城郡広陵町大塚・三吉の辺りか。:奈良県桜井市から橿原市香具山の東北麓にかけての一帯。 |