歌詳細

大君の命恐みあきづ島大和を過ぎて大伴の御津の浜辺ゆ大船にま梶しじ貫き朝なぎに水手の声しつつ夕なぎに梶の音しつつ行きし君いつ来まさむと占置きて斎ひ渡るに狂言や人の言ひつる我が心筑紫の山のもみち葉の散り過ぎにきと君がただかを

項目 内容
番号 13-3333
漢字本文 王之御命恐秋津嶋倭雄過而大伴之御津之浜邊従大舟尒真梶繁貫旦名伎尒水手之音為乍夕名寸尒梶音為乍行師君何時来座登大卜置而斎度尒狂言哉人之言釣我心藎之山之黄葉之散過去常公之正香乎
読み下し文 大君の命恐みあきづ島大和を過ぎて大伴の御津の浜辺ゆ大船にま梶しじ貫き朝なぎに水手の声しつつ夕なぎに梶の音しつつ行きし君いつ来まさむと占置きて斎ひ渡るに狂言や人の言ひつる我が心筑紫の山のもみち葉の散り過ぎにきと君がただかを
訓み おほきみのみことかしこみあきづしまやまとをすぎておほとものみつのはまへゆおほぶねにまかぢしじぬきあさなぎにかこのとしつつゆふなぎにかぢのとしつつゆきしきみいつきまさむとうらおきていはひたはことやひとのいひつるわがこころつくしのやまのもみちばのちりすぎにきときみがただかを
現代語訳 大君の御命令を尊んで、秋津島の大和を後にし、大伴の御津の海岸から大船に両楫を一面に貫き、朝の凪に水手がかけ声をかけつつ、夕べの凪に楫の音を響かせて出発していったあなたは、いつ帰って来られるだろうと占をしては身を慎んで祈りつづけたのに、途方もないことを人は言うのだろうか。私の心を尽くす筑紫の山の黄葉のように死んでしまったという。あなたの現実の身のことを。
歌人 作者未詳 /
歌体 長歌
時代区分 不明
部立 挽歌
季節 なし
補足 不明//
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】秋津島
【故地名読み】あきづしま
【故地説明】日本国および大和国の古名。「やまと」の美称としても用いる。孝安天皇「室之秋津島宮」のあった奈良県御所市大字室(旧秋津村)付近の地名が、次第に広がり、大和および日本国の総称となったか。神武紀に地名起源伝説がある。「秋つ島」(秋は実りの意)、「明つ島」の意とみる説もある。
【故地名】大伴の御津
【故地名読み】おおとものみつ
【現在地名】大阪府大阪市
【故地説明】難波の御津ともいう。大伴の地にあった港。難波宮のあった上町台地の一角、位置未詳。南区三津寺町はその遺称か。
【故地名】筑紫の山
【故地名読み】つくしのやま
【故地説明】筑紫にある山。
【故地名】三津の浜
【故地名読み】みつのはま
【現在地名】大阪府大阪市
【故地説明】難波(大阪市)の湊、所在未詳。→難波の御津・大伴の御津上町台地の西方にあった海浜地で大阪市南区三津寺町はその遺称か。(1)
【故地名】大和
【故地名読み】やまと
【故地説明】(倭・日本)大和朝廷の勢力のおよんだ範囲をあらわす語で、奈良県天理市大和(大和神社がある)あたりの地方名から起こり、大和中央平原部、奈良県全体、近畿一帯から日本全国の総名へと発展したという。集中の歌は大和中央平原部・大和国(奈良県全体)・日本国の総名など種々に用いている。
【地名】三津の浜辺:筑紫の山
【現在地名】三津は「大伴の三津」(三五九三)に同じ。大伴は現在の大阪市から堺市にかけての総名。:九州地方の総名にも、また筑前・筑後の総称としても用いる。