歌詳細

これやこの大和にしてはあが恋ふる紀路にありといふ名に負ふ背の山

項目 内容
番号 1-35
漢字本文(題詞) 越勢能山時、阿閇皇女御作歌
漢字本文 此也是能倭尒四手者我戀流木路尒有云名二負勢能山
読み下し文(題詞) 背の山を越えし時に、阿閉皇女の作りませる御歌
読み下し文 これやこの大和にしてはあが恋ふる紀路にありといふ名に負ふ背の山
訓み これやこのやまとにしてはわがこふるきぢにありといふなにおふせのやま
現代語訳 これがまあ、大和にいて心ひかれていた、紀州路にあるという有名な背の山なのか。
歌人 元明天皇 / げんめいてんわう
歌人別名 阿閉皇女, 阿陪皇女, 天皇 / あへのひめみこ
歌体 短歌
時代区分 第2期
部立 雑歌
季節 なし
補足 元明天皇/げんめいてんわう/元明天皇【阿閇皇女】
詠み込まれた地名 紀伊 / 和歌山
関連地名 【故地名】紀道
【故地名読み】きじ
【現在地名】和歌山県
【故地説明】紀伊国へ行く道、または紀伊国の地をゆく道。
【故地名】背の山
【故地名読み】せのやま
【現在地名】和歌山県伊都郡かつらぎ町
【故地説明】→妹背の山(和歌山県伊都郡かつらぎ町大字背の山の背の山(168メートル、紀ノ川北岸)と対岸の同町大字西渋田の妹山(長者屋敷と呼ぶ小丘、124メートル)のこと。)
【故地名】大和
【故地名読み】やまと
【故地説明】(倭・日本)大和朝廷の勢力のおよんだ範囲をあらわす語で、奈良県天理市大和(大和神社がある)あたりの地方名から起こり、大和中央平原部、奈良県全体、近畿一帯から日本全国の総名へと発展したという。集中の歌は大和中央平原部・大和国(奈良県全体)・日本国の総名など種々に用いている。
【地名】大和:紀路
【現在地名】国名としての奈良県全体:和歌山県および三重県の南・北牟婁郡の地へ行く道、または、~の地を通っている道