歌詳細

あをによし奈良の都に行く人もがも草枕旅行く船の泊まり告げむに〔旋頭歌也〕

項目 内容
番号 15-3612
漢字本文(題詞) 備後國水調郡長井浦舶泊之夜作歌三首
漢字本文 安乎尒与之奈良能美也故尒由久比等毛我母久左麻久良多妣由久布祢能登麻利都■(日+寸)武仁〔旋頭歌也〕
漢字本文(左注) 右一首、大判官
読み下し文(題詞) 備後国の水調郡の長井の浦に船泊せし夜に作れる歌三首
読み下し文 あをによし奈良の都に行く人もがも草枕旅行く船の泊まり告げむに〔旋頭歌也〕
読み下し文(左注) 右の一首は、大判官
訓み あをによしならのみやこにゆくひともがもくさまくらたびゆくふねのとまりつげむに〔頭歌也〕
現代語訳 青丹(に)の美しい奈良の都に行く人がいてほしい。草を枕に旅する船の、今夜の泊りを告げようのに。
歌人 壬生使主宇太麻呂 / みぶのおみうだまろ
歌人別名 大判官, 大伴官 / だいはんぐわん
歌体 旋頭歌
時代区分 第4期
部立 なし
季節 なし
補足 壬生宇太麻呂/みぶのうだまろ/大判官
詠み込まれた地名 備後 / 岡山
関連地名 【故地名】備後国
【故地名読み】きびのみちのしりのくに
【現在地名】広島県
【故地説明】国名。広島県の東部。
【故地名】長井の浦
【故地名読み】ながいのうら
【現在地名】広島県
【故地説明】広島県三原市糸崎町の港。一説に尾道市長江。
【故地名】奈良の都
【故地名読み】ならのみやこ
【現在地名】奈良県奈良市
【故地説明】元明天皇の和銅三(710)年3月より桓武天皇の延暦三(784)年11月まで7代714年間(天平12年より17年にかけては恭仁・紫香楽・難波に造京遷都)の帝都。京師は奈良市街地を東偏の一部として西方平野に展開していた。国立博物館と興福寺との間の南北の通じる道(京都街道)は東の京極大路、東大寺転害門から西へ佐保を経て法華寺に至る道は一条大路に当たる。
【故地名】水調郡
【故地名読み】みつきのこおり
【現在地名】広島県
【故地説明】備後国。広島県御調郡及び三原市の一部の地。
【地名】奈良の都
【現在地名】奈良市