歌詳細

山川も依りて仕ふる神ながら激つ河内に船出せすかも

項目 内容
番号 1-39
漢字本文(題詞) 反歌
漢字本文 山川毛因而奉流神長柄多藝津河内尒船出為加母
漢字本文(左注) 右、日本紀曰、三年己丑正月、天皇幸吉野宮。八月幸吉野宮。四年庚寅二月、幸吉野宮。
五月幸吉野宮。五年辛卯正月、幸吉野宮。四月幸吉野宮者、未詳知何月従駕作歌。
読み下し文(題詞) 反歌
読み下し文 山川も依りて仕ふる神ながら激つ河内に船出せすかも
読み下し文(左注) 右は、日本紀に曰はく「三年己丑の正月、天皇吉野の宮に幸す。八月吉野の宮に幸す。四年庚寅の二月、吉野の宮に幸す。
五月吉野の宮に幸す。五年辛卯の正月、吉野の宮に幸す。四月吉野の宮に幸す」といへれば、いまだ詳らかに何れの月の従駕に作れる歌なるかを知らず。
訓み やまかはもよりてつかふるかむながらたぎつかふちにふなでせすかも
現代語訳 山も川もこぞってお仕えする天皇は、神そのものとして、激流ほとばしる川辺に船をお出しになることよ。
歌人 柿本朝臣人麻呂 / かきのもとのあそみひとまろ
歌人別名 人麻呂
歌体 短歌
時代区分 第2期
部立 雑歌
季節 なし
補足 柿本人麻呂/かきのもとのひとまろ/柿本人麻呂
詠み込まれた地名 大和 / 奈良
関連地名 【故地名】吉野の宮
【故地名読み】よしののみや
【現在地名】奈良県吉野郡吉野町
【故地説明】吉野にあった離宮。応神・雄略・斉明・天武・持統・文武・元正・聖武の諸天皇の行幸があった。集中の吉野吉野宮は吉野町宮滝の地域内と見られ、宮址はもとの中荘村役場付近と伝える。他に東吉野村大字小字黒田の丹生川上中杜付近、大淀町などの説もある。