歌詳細

ほととぎす楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで

項目 内容
番号 17-3913
漢字本文 保登等芸須安不知能枝尒由吉底居者花波知良牟奈珠登見流麻泥
漢字本文(左注) 右、四月三日、内舎人大伴宿祢家持、従久邇京報送弟書持。
読み下し文 ほととぎす楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで
読み下し文(左注) 右は、四月三日に、内舎人大伴宿祢家持、久邇の京より弟書持に報へ送れり。
訓み ほととぎすあふちのえだにゆきてゐばはなはちらむなたまとみるまで
現代語訳 ほととぎすが楝の花の枝に行き止まったなら、花は散るだろうなあ。玉と見紛うくらいに。
歌人 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち
歌人別名 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち
歌体 短歌
時代区分 第3期
部立 なし
季節
補足 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持
詠み込まれた地名 山背久邇京 / 京都
関連地名 【故地名】久迩の都
【故地名読み】くにのみやこ
【現在地名】京都府相楽郡
【故地説明】天平12(740)年12月から同16年2月までの聖武天皇の帝都。大養徳恭仁大宮ともいう。中央を東西の木津川(泉川)が貫流し、鹿背山の東は瓶原盆地、西は木津平地、南北は山に囲まれた区域、皇城は加茂町例幣を中心とする一帯、大極殿址は瓶原小学校(登大路)裏の国分寺址に土壇と礎石をのこし、皇居址はその北方小字立川の京城芝の地という。