歌詳細

玉に貫く花橘を乏しみしこの我が里に来鳴かずあるらし

項目 内容
番号 17-3984
漢字本文 多麻尒奴久波奈多知婆奈乎等毛之美思己能和我佐刀尒伎奈可受安流良之
漢字本文(左注) 霍公鳥者、立夏之日来鳴必定。又越中風土、希有橙橘也。
因此、大伴宿祢家持、感發於懐、聊裁此歌。[三月廿九日]
読み下し文 玉に貫く花橘を乏しみしこの我が里に来鳴かずあるらし
読み下し文(左注) 霍公鳥は、立夏の日に来鳴くこと必定す。また越中の風土は、橙橘のあること希なり。
此に因りて、大伴宿祢家持、感を懐に発して聊かにこの歌を裁れり。三月二十九日
訓み たまにぬくはなたちばなをともしみしこのわがさとにきなかずあるらし
現代語訳 鳴き声によって玉に貫く橘の花が少ないので、このわが里には来て鳴かないらしい。
現代語訳(左注) 霍公鳥は立夏の日に来て鳴くことがきまっている。一方越中の風土は橙(だいだい)や橘が稀にしかない。
そこで大伴宿禰家持が心に感慨を起こしていささかこの歌を作った。
歌人 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち
歌人別名 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち
歌体 短歌
時代区分 第4期
部立 なし
季節
補足 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持
詠み込まれた地名 越中 / 富山
関連地名 【故地名】越中
【故地名読み】こしのみちのなか
【現在地名】富山県
【故地説明】国名。富山県。天平13(741)年から天平勝宝9(757)年までは、のちの能登国をもあわせていた。国庁は高岡市伏木古国府にあった。