歌詳細
項目 | 内容 |
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番号 | 巻18-4116 |
漢字本文(題詞) | 國掾久米朝臣廣縄、以天平廿年、附朝集使入京、其事畢而、天平感寶元年閏五月廿七日還到本任。 仍長官之舘設詩酒宴樂飲。 於時主人守大伴宿祢家持作歌一首〔并短歌〕 |
漢字本文 | 於保支見能末支能末尒〻〻等里毛知氐都可布流久尒能年内能許登可多祢母知多末保許能美知尒伊天多知伊波祢布美也末古衣野由支弥夜故敝尒末為之和我世乎安良多末乃等之由吉我弊理月可佐祢美奴日佐末祢美故敷流曽良夜須久之安良祢波保止〻支須支奈久五月能安夜女具佐余母疑可豆良伎左加美都伎安蘇比奈具礼止射水河雪消溢而逝水能伊夜末思尒乃未多豆我奈久奈呉江能須氣能根毛己呂尒於母比牟須保礼奈介伎都〻安我末川君我許登乎波里可敝利末可利天夏野能佐由利能波奈能花咲尒尒布夫尒恵美天阿波之多流今日乎波自米氐鏡奈須可久之都祢見牟於毛我波利世須 |
読み下し文(題詞) | 国の掾久米朝臣広縄、天平二十年に、朝集使に付きて京に入り、その事畢りて、天平感宝元年閏五月二十七日に本任に還り致る。 よりて長官の館に詩酒の宴を設けて楽飲す。 時に主人守大伴宿祢家持の作れる歌一首〔并せて短歌〕 |
読み下し文 | 大君の任のまにまに取り持ちて仕ふる国の年の内の事かたね持ち玉桙の道に出で立ち岩根踏み山越え野行き都辺に参ゐし我が背をあらたまの年行き反り月重ね見ぬ日さまねみ恋ふるそら安くしあらねばほととぎす来鳴く五月のあやめぐさ蓬かづらき酒みづき遊び和ぐれど射水川雪消溢りて行く水のいや増しにのみ鶴が鳴く奈呉江の菅のねもころに思ひ結ぼれ嘆きつつ我が待つ君が事終はり帰り罷りて夏の野のさ百合の花の花笑みににふぶに笑みて逢はしたる今日を始めて鏡なすかくし常見む面変はりせず |
訓み | おほきみのまきのまにまにとりもちてつかふるくにのとしのうちのことかたねもちたまほこのみちにいでたちいはねふみやまこえのゆきみやこへにまゐしわがせをあらたまのとしゆきがへりつきかさねみぬひさまねみこふるそらやすくしあらねばほととぎすきなくさつきのあやめぐさよもぎかづらきさかみづきあそびなぐれどいみづがはゆきげはふりてゆくみづのいやましにのみたづがなくなごえのすげのねもころにおもひむすぼれなげきつつあがまつきみがことをはりかへりまかりてなつのののさゆりのはなのはなゑみににふぶにゑみてあはしたるけふをはじめてかがみなすかくしつねみむおもがはりせず |
現代語訳 | 天皇が命ぜられるままに役目に従ってお仕えする国の、一年の事をとり纒めたずさえて、玉桙の道に出発し、岩を踏みしめ山野を越えていって都に参上したあなたを、あらたまの年も改まり、月を重ねて見ない日が多くなったので、恋しく思う身も安からずあったから、ほととぎすが来て鳴く五月の菖蒲草や蓬を蘰に巻き、酒宴を開いて遊び慰めたのだったが、射水川の雪解水をみなぎらせて流れる水のように、一層恋しさがつのり、鶴が鳴く奈呉江の菅の根のようにつくづくと心も結ばれ、嘆息しつつ私は待っていたことだった。そのあなたが、任おえて帰国し、夏野のさ百合の花の咲く如く、にこやかに笑って姿を見せた。今日を始めとして、鏡のようにいつもこうして見ていよう。様子も変わることなく。 |
歌人 | 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち |
歌人別名 | 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち |
歌体 | 長歌 |
時代区分 | 第4期 |
部立 | なし |
季節 | 夏 |
補足 | 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持 |
詠み込まれた地名 | 越中 / 富山 |
関連地名 | 【故地名】射水川 【故地名読み】いみずがわ 【現在地名】富山県 【故地説明】小矢部川(岐阜県境から出て、砺波を流れ、高岡市伏木で富山湾に注ぐ)のこと。古昔は現在の庄川も小矢部川に合流して射水川となっていた。 【故地名】奈呉江 【故地名読み】なごえ 【現在地名】富山県新湊市 【故地説明】放生津潟。 【地名】射水川:奈呉江 【現在地名】小矢部川。富山県西南部の大門山に発し、小矢部市を経て高岡市伏木で富山湾に注ぐ。:富山県新湊市の放生津潟の名称。 |