歌詳細

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

項目 内容
番号 3-416
漢字本文(題詞) 大津皇子被死之時、磐余池般流涕御作歌一首
漢字本文 百傳磐余池尒鳴鴨乎今日耳見哉雲隠去牟
漢字本文(左注) 右、藤原宮朱鳥元年冬十月。
読み下し文(題詞) 大津皇子の死を被りし時に、磐余(いはれ)の池の陂(つつみ)にして涕(なみだ)を流して作りませる御歌一首
読み下し文 百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
読み下し文(左注) 右は藤原宮の朱鳥元年の冬十月。
訓み ももづたふいはれのいけになくかもをけふのみみてやくもがくりなむ
現代語訳 百に通じる五十(い)――磐余の池に鳴く鴨を、今日を限りとして見て、わたしは雲の彼方に去るのだろうか。
歌人 大津皇子 / おほつのみこ
歌人別名 皇子
歌体 短歌
時代区分 第2期
部立 挽歌
季節 なし
補足 大津皇子/おほつのみこ/大津皇子
詠み込まれた地名 大和 / 奈良
関連地名 【故地名】磐余の池
【故地名読み】いわれのいけ
【現在地名】奈良県
【故地説明】「作磐余池」(『履中紀』2年)とあるが遺址なく範囲不明。池尻・池之内の名がこの池にちなむとすれば香具山の東北一帯にひろがっていたか。
【故地名】藤原の宮
【故地名読み】ふじわらのみや
【現在地名】奈良県橿原市
【故地説明】藤原京の皇居。高殿町の鴨公小学校の南側に大宮土壇(大極殿址)が森となって残されていたが、近年、小学校を移転して十二堂址を復原保存している。なお、文武天皇の時、同市醍醐町に移建されたとする説もある。
【地名】磐余の池
【現在地名】奈良県桜井市の西南部、香久山の東北にあった池