歌詳細

古にありけるわざのくすばしき事と言ひ継ぐ血沼壮士うなひ壮士のうつせみの名を争ふとたまきはる命も捨てて争ひに妻問ひしける処女らが聞けば悲しさ春花のにほえ栄えて秋の葉のにほひに照れるあたらしき身の盛りすらますらをの言いたはしみ父母に申し別れて家離り海辺に出で立ち朝夕に満ち来る潮の八重波になびく玉藻の節の間も惜しき命を露霜の過ぎましにけれ奥つ城をここと定めて後の世の聞き継ぐ人もいや遠に偲ひにせよと黄楊小櫛然刺しけらし生ひてなびけり

項目 内容
番号 19-4211
漢字本文(題詞) 追同處女墓歌一首〔并短歌〕
漢字本文 古尒有家流和射乃久須婆之伎事跡言継知努乎登古宇奈比壮子乃宇都勢美能名乎競争登玉尅壽毛須底弖相争尒嬬問為家留𡢳嬬等之聞者悲左春花乃尒太要盛而秋葉之尒保比尒照有惜身之壮尚大夫之語勞美父母尒啓別而離家海邊尒出立朝暮尒満来潮之八隔浪尒靡珠藻乃節間毛惜命乎露霜之過麻之尒家礼奥墓乎此間定而後代之聞継人毛伊也遠尒思努比尒勢餘等黄揚小櫛之賀左志家良之生而靡有
読み下し文(題詞) 追ひて処女の墓の歌に同へたる一首〔并せて短歌〕
読み下し文 古にありけるわざのくすばしき事と言ひ継ぐ血沼壮士うなひ壮士のうつせみの名を争ふとたまきはる命も捨てて争ひに妻問ひしける処女らが聞けば悲しさ春花のにほえ栄えて秋の葉のにほひに照れるあたらしき身の盛りすらますらをの言いたはしみ父母に申し別れて家離り海辺に出で立ち朝夕に満ち来る潮の八重波になびく玉藻の節の間も惜しき命を露霜の過ぎましにけれ奥つ城をここと定めて後の世の聞き継ぐ人もいや遠に偲ひにせよと黄楊小櫛然刺しけらし生ひてなびけり
訓み いにしへにありけるわざのくすばしきことといひつぐちぬをとこうなひをとこのうつせみのなをあらそふとたまきはるいのちもすててあらそひにつまどひしけるをとめらがきけばかなしさはるはなのにほえさかえてあきのはのにほひにてれるあたらしきみのさかりすらますらをのこといたはしみちちははにまをしわかれていへざかりうみへにいでたちあさよひにみちくるしほのやへなみになびくたまものふしのまもをしきいのちをつゆしものすぎましにけれおくつきをこことさだめてのちのよのききつぐひともいやとほにしのひにせよとつげをぐししかさしけらしおひてなびけり
現代語訳 昔あった出来事でふしぎな事と言い伝えてきた、血沼壮士とうない壮士が世間の名誉を争うとて、たまきはる命も捨てて、争って求婚した少女の話は、聞くと何と悲しいことよ。春花のように匂わしく栄えた、また秋の葉のように美しく輝いた惜しい身の盛りにすら、大夫たちのことばが心を悲しませるので、父母に暇乞いをし、家を離れて海岸に出で立ち、朝夕に満ちてくる潮の八重波に靡く玉藻の節の間ほどに短かく惜しい命を、露霜のように失ってしまった。そこで墓所をここと決めて、後代に聞きつぐ人も、一層遠くしのぶよすがにせよとて、黄楊の小櫛をこのように刺したらしい。それが生い育って風に靡いているよ。
歌人 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち
歌人別名 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち
歌体 長歌
時代区分 第4期
部立 なし
季節
補足 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持
詠み込まれた地名 越中 / 富山
関連地名 【故地名】菟名日
【故地名読み】うない
【故地説明】普通名詞。一説に地名。→菟原(うはら)
【故地名】血沼
【故地名読み】ちぬ
【現在地名】大阪府
【故地説明】和泉国の古名で芽渟県(ちぬのあがた)ともいう。大阪府の南西部。堺市から岸和田市にかけての海岸。
【故地名】処女の墓
【故地名読み】おとめのつか
【現在地名】兵庫県神戸市
【故地説明】兵庫県神戸市東灘区御影塚町2丁目にある通称乙女塚は菟原処女(うなひおとめ)の墓と伝える。
【地名】1血沼:うなひ
【現在地名】和泉国の古名で茅渟県ともいう。大阪府の南西部。堺市から岸和田市にかけての海岸。:武蔵国(東京都及び埼玉県・神奈川県の一部)内、所在未詳。東京都世田谷区宇奈根と多摩川を隔てて対岸の川崎市高津区宇奈根あたりか。