歌詳細

あきづ島大和の国を天雲に磐船浮かべ艫に舳にま櫂しじ貫きい漕ぎつつ国見しせして天降りまし払ひ言向け千代重ねいや継ぎ継ぎに知らしける天の日継と神ながら我ご大君の天の下治めたまへばもののふの八十伴の緒を撫でたまひ整へたまひ食す国の四方の人をもあぶさはず恵みたまへば古ゆなかりし瑞度まねく申したまひぬ手抱きて事なき御代と天地日月と共に万代に記し継がむそやすみしし我ご大君秋の花しが色々に見したまひ明らめたまひ酒みづき栄ゆる今日のあやに貴さ

項目 内容
番号 19-4254
漢字本文(題詞) 向京路上、依興預作侍宴應詔歌一首〔并短歌〕
漢字本文 蜻嶋山跡國尒天雲尒盤船浮等母尒倍尒真可伊繁貫伊許藝都追國看之勢志氐安母里麻之掃平千代累弥嗣継尒所知来流天之日継等神奈我良吾皇乃天下治賜者物乃布能八十友之雄乎撫賜等登能倍賜食國之四方之人乎母安夫左波受怋賜者従古昔無利之瑞多婢末祢久申多待比奴手拱而事無御代等天地日月等登聞仁万世尒記續牟曽八隅知之吾大皇秋花之我色〻尒見賜明米多麻比酒見附榮流今日之安夜尒貴左
読み下し文(題詞) 京に向かふ路の上にして、興に依りてかねて作れる侍宴応詔の歌一首〔并せて短歌〕
読み下し文 あきづ島大和の国を天雲に磐船浮かべ艫に舳にま櫂しじ貫きい漕ぎつつ国見しせして天降りまし払ひ言向け千代重ねいや継ぎ継ぎに知らしける天の日継と神ながら我ご大君の天の下治めたまへばもののふの八十伴の緒を撫でたまひ整へたまひ食す国の四方の人をもあぶさはず恵みたまへば古ゆなかりし瑞度まねく申したまひぬ手抱きて事なき御代と天地日月と共に万代に記し継がむそやすみしし我ご大君秋の花しが色々に見したまひ明らめたまひ酒みづき栄ゆる今日のあやに貴さ
訓み あきづしまやまとのくにをあまくもにいはふねうかべともにへにまかいしじぬきいこぎつつくにみしせしてあもりましはらひことむけちよかさねいやつぎつぎにしらしけるあまのひつぎとかむながらわごおほきみのあめのしたをさめたまへばもののふのやそとものををなでたまひととのへたまひをすくにのよものひとをもあぶさはずめぐみたまへばいにしへゆなかりししるしたびまねくまをしたまひぬたむだきてことなきみよとあめつちひつきとともによろづよにしるしつがむそやすみししわごおほきみあきのはなしがいろいろにめしたまひあきらめたまひさかみづきさかゆるけふのあやにたふとさ
現代語訳 秋津島の大和の国を、天雲に磐船を浮かべ、船尾にも船首にも左右の櫂を一面に通して漕ぎながら国見をなさって地上にお降りになり、邪魔者を掃い従え、千代を重ねて一層次々と平定なさってきた天皇の御位にあって、神のままにわが大君が天下をお治めになると、廷臣の多くの者どもをいつくしみなさり、整備なさり、支配する国土のあらゆる人々をも残さずお恵みになるので、昔からなかった瑞祥が度々奏上されることだ。何もせず手を組んでいても太平な御代として、天地・日月と共に万代の後までも記録しつがれるだろう。八方を支配されるわが大君が、秋の花のさまさまな色どりを、それぞれに御覧になって御心を晴らす、酒宴が賑やかな今日の、ふしぎな貴さよ。
歌人 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち
歌人別名 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち
歌体 長歌
時代区分 第4期
部立 なし
季節
補足 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】秋津島
【故地名読み】あきづしま
【故地説明】日本国および大和国の古名。「やまと」の美称としても用いる。孝安天皇「室之秋津島宮」のあった奈良県御所市大字室(旧秋津村)付近の地名が、次第に広がり、大和および日本国の総称となったか。神武紀に地名起源伝説がある。「秋つ島」(秋は実りの意)、「明つ島」の意とみる説もある。
【故地名】大和の国
【故地名読み】やまとのくに
【故地説明】(倭・日本)大和朝廷の勢力のおよんだ範囲をあらわす語で、奈良県天理市大和(大和神社がある)あたりの地方名から起こり、大和中央平原部、奈良県全体、近畿一帯から日本全国の総名へと発展したという。集中の歌は大和中央平原部・大和国(奈良県全体)・日本国の総名など種々に用いている。
【地名】あきづ島:大和の国
【現在地名】日本全体。