歌詳細

栲綱の新羅の国ゆ人言をよしと聞かして問ひ放くる親族兄弟無き国に渡り来まして大君の敷きます国にうち日さす都しみみに里家はさはにあれどもいかさまに思ひけめかもつれもなき佐保の山辺に泣く子なす慕ひ来まして敷たへの家をも造りあらたまの年の緒長く住まひつついまししものを生ける者死ぬとふことに免かれぬものにしあれば頼めりし人のことごと草枕旅なるほどに佐保川を朝川渡り春日野を背向に見つつあしひきの山辺をさしてくれくれと隠りましぬれ言はむすべせむすべ知らにたもとほりただ独りして白たへの衣手干さず嘆きつつわが泣く涙有馬山雲居たなびき雨に降りきや

項目 内容
番号 3-460
漢字本文(題詞) 七年乙亥、大伴坂上郎女、悲嘆尼理願死去作歌一首〔并短歌〕
漢字本文 栲角乃新羅國従人事乎吉跡所聞而問放流親族兄弟無國尒渡来座而大皇之敷座國尒内日指京思美弥尒里家者左波尒雖在何方尒念鷄目鴨都礼毛奈吉佐保乃山邊尒哭兒成慕来座而布細乃宅乎毛造荒玉乃年緒長久住乍座之物乎生者死云事尒不免物尒之有者憑有之人乃盡草枕客有間尒佐保河乎朝河渡春日野乎背向尒見乍足氷木乃山邊乎指而晩闇跡隠益去礼将言為便将為須敞不知尒俳廻直獨而白細之衣袖不干嘆乍吾泣涙有間山雲居輕引雨尒零寸八
読み下し文(題詞) 七年乙亥。大伴坂上郎女の、尼理願の死去れるを悲しび嘆きて作れる歌一首〔并せて短歌〕
読み下し文 栲綱の新羅の国ゆ人言をよしと聞かして問ひ放くる親族兄弟無き国に渡り来まして大君の敷きます国にうち日さす都しみみに里家はさはにあれどもいかさまに思ひけめかもつれもなき佐保の山辺に泣く子なす慕ひ来まして敷たへの家をも造りあらたまの年の緒長く住まひつついまししものを生ける者死ぬとふことに免かれぬものにしあれば頼めりし人のことごと草枕旅なるほどに佐保川を朝川渡り春日野を背向に見つつあしひきの山辺をさしてくれくれと隠りましぬれ言はむすべせむすべ知らにたもとほりただ独りして白たへの衣手干さず嘆きつつわが泣く涙有馬山雲居たなびき雨に降りきや
訓み たくつののしらきのくにゆひとごとをよしときかしてとひさくるうからはらからなきくににわたりきましておほきみのしきますくににうちひさすみやこしみみにさといへはさはにあれどもいかさまにおもひけめかもつれもなきさほのやまへになくこなすしたひきましてしきたへのいへをもつくりあらたまのとしのをながくすまひつついまししものをいけるものしぬとふことにまぬかれぬものにしあればたのめりしひとのことごとくさまくらたびなるほどにさほかはをあさかはわたりかすがのをそがひにみつつあしひきのやまへをさしてくれくれとかくりましぬれいはむすべせむすべしらにたもとほりただひとりしてしろたへのころもでほさずなげきつつわがなくなみだありまやまくもゐたなびきあめにふりきや
現代語訳 栲綱の白――新羅の国から、人が住みよいと言うのをお聞きになって、言葉をかける親族もいないこの国に渡って来られ、天皇のお治めになる国には、都いっぱいぎっしりと里や家が多くあるのに、どう思われたのだろうか、ゆかりもない佐保山のほとりのわが家に、泣く子のように慕っておいでになり、敷たへの家をもつくり、あらたまの年も長く住んでおられたものを、生きている者は必ず滅びるという理を免れることはできないから、頼りにしている人々がみんな草を枕の旅に出ている間に、佐保川を朝渡って、春日野を背中にしながら、あしひきの山辺に向かって、心も暗く隠れてしまわれたので、言いようもなく、なすすべもなく、あちこちとさまよい、たった独りで白妙の喪服の袖を濡らしつづけて嘆き泣くこの私の涙は、有馬山に雲となってたなびき、雨になって降ったでしょうか。
歌人 大伴坂上郎女 / おほとものさかのうへのいらつめ
歌人別名 坂上郎女, 大伴郎女, 郎女, 大伴宿禰坂上郎女, 大伴氏坂上郎女, 佐保大納言卿之女, 母, 姑
歌体 長歌
時代区分 第4期
部立 挽歌
季節 なし
補足 大伴坂上郎女/おほとものさかのうへのいらつめ/大伴坂上郎女
詠み込まれた地名 不明 / 不明
関連地名 【故地名】有間山
【故地名読み】ありまやま
【現在地名】兵庫県神戸市北区
【故地説明】有馬温泉付近の山。温泉の南の射場山(690メートル)、六甲山(932メートル)、あるいは、この地の山々をいうか。
【故地名】春日野
【故地名読み】かすがの
【現在地名】奈良県奈良市
【故地説明】奈良市街地東方の春日山の西麓一帯。
【故地名】佐保川
【故地名読み】さほがわ
【現在地名】奈良県奈良市
【故地説明】奈良市東方の春日山中より発し、北の山裾を迂回して、市街の北郊で吉城川をあわせ、佐保を西流し、法華寺の南で南流し、率川・能登川をあわせ、大和郡山を過ぎ、磯城郡川西町大字吐田で初瀬川に合して大和川を注ぐ川。
【故地名】佐保の山
【故地名読み】さほのやま
【現在地名】奈良県奈良市
【故地説明】佐保山に同じ。
【故地名】新羅の国
【故地名読み】しらきのくに
【故地説明】朝鮮半島東南部にあった三韓のうちの一国。天平8(736)年の遺新羅使の歌が巻15にあり、『懐風藻』には新羅使とわが官人との文学交流の詩も残る。
【地名】新羅の国:佐保の山辺:佐保川:春日野:有間山
【現在地名】朝鮮半島の東南部にあって平安時代初めまでわが国と外交関係があった:平城京左京の東北張出し部である外京の山に起伏している低山:奈良市春日山に発し若草山北麓を回って佐保を西流し、法蓮寺の南で南流、大和郡山市を経て磯城郡川西町北吐田で初瀬川と合流、大和川に注ぐ