歌詳細
項目 | 内容 |
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番号 | 巻3-461 |
漢字本文(題詞) | 反歌 |
漢字本文 | 留不得壽尒之在者敷細乃家従者出而雲隠去寸 |
漢字本文(左注) | 右、新羅國尼、名曰理願也、遠感王徳歸化聖朝。 於時寄住大納言大将軍大伴卿家、既𨒬數紀焉。惟以天平七年乙亥、忽沉運病、既趣泉界。 於是大家石川命婦、依餌薬事徃有間温泉而、不會此喪。 但、郎女獨留葬送屍柩既訖。仍作此歌贈入温泉。 |
読み下し文(題詞) | 反歌 |
読み下し文 | 留め得ぬ命にしあれば敷たへの家ゆは出でて雲隠りにき |
読み下し文(左注) | 右は、新羅国の尼、名を理願といへるが、遠く王徳に感けて聖朝に帰化たり。 時に大納言大将軍大伴卿の家に寄住して、すでに数紀を経。ここに、天平七年乙亥を以ちて、忽ちに運病に沈み、すでに泉界に趣く。 ここに、大家石川命婦、餌薬の事によりて有間の温泉に行きて、この喪に会はず。 ただ、郎女、独り留りて屍柩を葬り送ること既に訖りぬ。よりてこの歌を作りて温泉に贈り入れたり。 |
訓み | とどめえぬいのちにしあればしきたへのいへゆはいでてくもがくりにき |
現代語訳 | 留めることのできない命だから、安らかな家をも離れて雲に隠れてしまった。 |
現代語訳(左注) | 右の歌は、新羅の国の尼で名を理願という者が遠く天皇の徳にひかれてわが国に帰化した。 そして大納言大将軍大伴安麻呂卿の家に寄住してすでに数十年をすごした。さて、天平七年に突然さけがたき病気におちいり、黄泉(よみ)の国に去ってしまった。 この時あるじの石川命婦は療養のために有間温泉に出かけていて、この葬送に立合うことができなかった。 留守の坂上郎女だけが一人で葬送のことをとりしきったのである。そこでこの歌を作って温泉に届けた。 |
歌人 | 大伴坂上郎女 / おほとものさかのうへのいらつめ |
歌人別名 | 坂上郎女, 大伴郎女, 郎女, 大伴宿禰坂上郎女, 大伴氏坂上郎女, 佐保大納言卿之女, 母, 姑 |
歌体 | 短歌 |
時代区分 | 第4期 |
部立 | 挽歌 |
季節 | なし |
補足 | 大伴坂上郎女/おほとものさかのうへのいらつめ/大伴坂上郎女 |
詠み込まれた地名 | 不明 / 不明 |
関連地名 | 【故地名】有間の温泉 【故地名読み】ありまのゆ 【現在地名】兵庫県神戸市北区 【故地説明】神戸市北区有馬町の有馬温泉。六甲山の北麓。 【故地名】新羅の国 【故地名読み】しらきのくに 【故地説明】朝鮮半島東南部にあった三韓のうちの一国。天平8(736)年の遺新羅使の歌が巻15にあり、『懐風藻』には新羅使とわが官人との文学交流の詩も残る。 |