歌詳細
項目 | 内容 |
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番号 | 巻3-475 |
漢字本文(題詞) | 十六年甲申。春二月、安積皇子薨之時、内舎人大伴宿禰家持作歌六首 |
漢字本文 | 挂巻母綾尒恐之言巻毛齋忌志伎可物吾王御子乃命萬代尒食賜麻思大日本久迩乃京者打靡春去奴礼婆山邊尒波花咲乎烏里河湍尒波年魚小狭走弥日異榮時尒逆言之狂言登加聞白細尒舎人装束而和豆香山御輿立之而久堅乃天所知奴礼展轉埿打雖泣将為須便毛奈思 |
読み下し文(題詞) | 十六年甲申。春二月に、安積皇子の薨りましし時に、内舎人大伴宿禰家持の作れる歌六首 |
読み下し文 | かけまくもあやに恐し言はまくもゆゆしきかもわご大君皇子の命万代に食したまはまし大日本久邇の都はうちなびく春さりぬれば山辺には花咲きををり川瀬には鮎子さ走りいや日異に栄ゆる時に逆言の狂言とかも白たへに舎人装ひて和束山御輿立たしてひさかたの天知らしぬれこいまろびひづち泣けどもせむすべも無し |
訓み | かけまくもあやにかしこしいはまくもゆゆしきかもわごおほきみみこのみことよろづよにめしたまはましおほやまとくにのみやこはうちなびくはるさりぬればやまへにははなさきををりかはせにはあゆこさばしりいやひけにさかゆるときにおよづれのたはごととかもしろたへにとねりよそひてわづかやまみこしたたしてひさかたのあめしらしぬれこいまろびひづちなけどもせむすべもなし |
現代語訳 | 口にするのも、言いようなく恐れ多い。言葉にしようにもはばかられることよ。わが大君、皇子の命が永久に治められるべきであった、この日本の久邇の都は、霞こめる春になると、山のほとりには花が枝をしならせるほど咲き、川の瀬には若鮎が走り泳ぎ、ますます日一日と栄えていた時に、さかしま言の戯れ言というのか、白布の喪服に舎人たちは装い、和束山に皇子の御輿をお立てになり、皇子は彼方の天を御支配なさってしまったので、舎人たちは大地に身を投げ出し、衣を濡らして泣くのだが、どうしようもない。 |
歌人 | 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち |
歌人別名 | 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち |
歌体 | 長歌 |
時代区分 | 第4期 |
部立 | 挽歌 |
季節 | 春 |
補足 | 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持 |
詠み込まれた地名 | 不明 / 不明 |
関連地名 | 【故地名】大日本 【故地名読み】おおやまと 【故地説明】「大」は美称。→大和((倭・日本)大和朝廷の勢力のおよんだ範囲をあらわす語で、奈良県天理市大和(大和神社がある)あたりの地方名から起こり、大和中央平原部、奈良県全体、近畿一帯から日本全国の総名へと発展したという。集中の歌は大和中央平原部・大和国(奈良県全体)・日本国の総名など種々に用いている。) 【故地名】久迩の都 【故地名読み】くにのみやこ 【現在地名】京都府相楽郡 【故地説明】天平12(740)年12月から同16年2月までの聖武天皇の帝都。大養徳恭仁大宮ともいう。中央を東西の木津川(泉川)が貫流し、鹿背山の東は瓶原盆地、西は木津平地、南北は山に囲まれた区域、皇城は加茂町例幣を中心とする一帯、大極殿址は瓶原小学校(登大路)裏の国分寺址に土壇と礎石をのこし、皇居址はその北方小字立川の京城芝の地という。 【故地名】和豆香山 【故地名読み】わづかやま 【現在地名】京都府相楽郡和束町 【故地説明】和束町一帯の山。安積皇子の墓は同町白栖小字大勘定の地、和束川北岸の丘陵上の円墳と伝える。 【地名】大日本久邇の京:和束山 【現在地名】京都府相楽郡加茂・木津・山城の諸町にわたる:京都府相楽郡和束町の地にある山 |