歌詳細
項目 | 内容 |
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番号 | 巻3-478 |
漢字本文 | 挂巻毛文尒恐之吾王皇子之命物乃負能八十伴男乎召集聚率比賜比朝獦尒鹿猪践起暮獦尒鶉鴙履立大御馬之口抑駐御心乎見為明米之活道山木立之繁尒咲花毛移尒家里世間者如此耳奈良之大夫之心振起劒刀腰尒取佩梓弓靭取負而天地与弥遠長尒萬代尒如此毛欲得跡憑有之皇子乃御門乃五月蝿成驟驂舎人者白栲尒服取着而常有之咲比振麻比弥日異更經見者悲呂可聞 |
読み下し文 | かけまくもあやに恐しわご大君皇子の命もののふの八十伴の男を召し集へ率ひたまひ朝狩に鹿猪踏み起こし夕狩に鶉雉踏み立て大御馬の口抑へとめ御心を見し明らめし活道山木立の茂に咲く花も移ろひにけり世の中はかくのみならしますらをの心振り起こし剣大刀腰に取り佩き梓弓靫取り負ひて天地といや遠長に万代にかくしもがもと頼めりし皇子の御門の五月蝿なす騒く舎人は白たへに衣取り着て常なりし笑まひ振舞ひいや日異に変はらふ見れば悲しきろかも |
訓み | かけまくもあやにかしこしわごおほきみみこのみこともののふのやそとものををめしつどへあともひたまひあさかりにししふみおこしゆふかりにとりふみたておほみまのくちおさへとめみこころをめしあきらめしいくぢやまこだちのしげにさくはなもうつろひにけりよのなかはかくのみならしますらをのこころふりおこしつるきたちこしにとりはきあづさゆみゆぎとりおひてあめつちといやとほながによろづよにかくしもがもとたのめりしみこのみかどのさばへなすさわくとねりはしろたへにころもとりきてつねなりしゑまひふるまひいやひけにかはらふみればかなしきろかも |
現代語訳 | 口にするのも言いようもなく恐れ多い。わが大君、皇子の命が宮廷の多くの男たちを召し集め引きつれて、朝猟では鹿猪を踏み立ててとらえ、夕猟では鶉雉を踏み入ってとらえ、口を引いて御馬をとどめては、景色を御覧になって御心を晴やかにされた活道山は、木立の茂る中に咲いていた花も今は色あせていることだ。世の中とはかくのごとくでしかないらしい。勇敢な武人の心を奮い立たせて、剣大刀を腰につけ梓弓や靱を背負って、天地とともにますます永久に万代の後までもこうあってほしいとお頼みした皇子の御殿ににぎやかに集まっていた舎人は、今はまっ白な喪の衣をつけ、いつも変わらなかった笑顔や振る舞いが日一日と変わっていくのを見ると、何と悲しいことだろう。 |
歌人 | 大伴宿禰家持 / おほとものすくねやかもち |
歌人別名 | 少納言, 家持, 越中国守, 大伴家持, 守, 少納言, 大帳使, 家持, 主人 / せうなごん, やかもち |
歌体 | 長歌 |
時代区分 | 第4期 |
部立 | 挽歌 |
季節 | 春 |
補足 | 大伴家持/おほとものやかもち/大伴家持 |
詠み込まれた地名 | 不明 / 不明 |
関連地名 | 【故地名】活道山 【故地名読み】いくじやま 【現在地名】京都府相楽郡 【故地説明】活道の丘→加茂町岡崎の流岡山またはその北方の王廟山かとする説、和束町白栖の安積皇子の墓あたりかという説がある。 【地名】活道山 【現在地名】久迩京の近くの山であろうが所在未詳 |