歌詳細

大君の御命かしこみにきびにし家を置きこもりくの初瀬の川に船浮けてわが行く川の川隈の八十隈おちず万度かへり見しつつ玉桙の道行き暮らしあをによし奈良の都の佐保川にい行き至りてわが寝たる衣の上ゆ朝月夜さやかに見ればたへの穂に夜の霜降り岩床と川の氷凝り寒き夜を憩ふことなく通ひつつ作れる家に千代までに来ませ大君よわれも通はむ

項目 内容
番号 1-79
漢字本文(題詞) 或本従藤原京遷于寧樂宮時歌
漢字本文 天皇乃御命畏美柔備尒之家乎擇隠國乃泊瀬乃川尒舼浮而吾行河乃川隈之八十阿不落万段顧為乍玉桙乃道行晩青丹吉楢乃京師乃佐保川尒伊去至而我宿有衣乃上従朝月夜清尒見者栲乃穂尒夜之霜落磐床等川之氷凝冷夜乎息言無久通乍作家尒千代二手来座多公与吾毛通武
読み下し文(題詞) 或る本の藤原京より寧楽宮に遷れる時の歌
読み下し文 大君の御命かしこみにきびにし家を置きこもりくの初瀬の川に船浮けてわが行く川の川隈の八十隈おちず万度かへり見しつつ玉桙の道行き暮らしあをによし奈良の都の佐保川にい行き至りてわが寝たる衣の上ゆ朝月夜さやかに見ればたへの穂に夜の霜降り岩床と川の氷凝り寒き夜を憩ふことなく通ひつつ作れる家に千代までに来ませ大君よわれも通はむ
訓み おほきみのみことかしこみにきびにしいへをおきこもりくのはつせのかはにふねうけてわがゆくかはのかはくまのやそくまおちずよろづたびかへりみしつつたまほこのみちゆきくらしあをによしならのみやこのさほかはにいゆきいたりてわがねたるころものうへゆあさづくよさやかにみればたへのほによるのしもふりいはとことかはのひこごりさむきよをいこふことなくかよひつつつくれるいへにちよまでにきませおほきみよわれもかよはむ
現代語訳 大君のご命令をかしこんで、馴れ親しんだ家を後に、こもりくの初瀬から流れる川に船を浮かべて私は川を下っていく。その川の幾つもの曲りごとにつねにふりかえりながら、玉桙の道のりを一日中辿り、青土美しい奈良の都の佐保川に到着して、野宿するわが衣を通して朝の月光の中に見ると、一面にまっ白な霜が薄明の中に輝き、川面は氷が岩床のように張りつめている、そんな寒い夜も安らかに寝ることなく出かけて来ては作った家に、千年の後までもお住みください、大君よ。私も通ってまいりましょう。
歌人 作者未詳 /
歌体 長歌
時代区分 第3期
部立 雑歌
季節
補足 不明//不明(作主未詳)
詠み込まれた地名 大和 / 奈良
関連地名 【故地名】佐保川
【故地名読み】さほがわ
【現在地名】奈良県奈良市
【故地説明】奈良市東方の春日山中より発し、北の山裾を迂回して、市街の北郊で吉城川をあわせ、佐保を西流し、法華寺の南で南流し、率川・能登川をあわせ、大和郡山を過ぎ、磯城郡川西町大字吐田で初瀬川に合して大和川を注ぐ川。
【故地名】奈良の都
【故地名読み】ならのみやこ
【現在地名】奈良県奈良市
【故地説明】元明天皇の和銅三(710)年3月より桓武天皇の延暦三(784)年11月まで7代714年間(天平12年より17年にかけては恭仁・紫香楽・難波に造京遷都)の帝都。京師は奈良市街地を東偏の一部として西方平野に展開していた。国立博物館と興福寺との間の南北の通じる道(京都街道)は東の京極大路、東大寺転害門から西へ佐保を経て法華寺に至る道は一条大路に当たる。
【故地名】奈良の宮
【故地名読み】ならのみや
【現在地名】奈良県奈良市
【故地説明】平城京の皇居。奈良市佐紀東・中町の南、近鉄の北側に大極殿跡があり、付近約1キロ平方にわたり宮址が保存されている。
【故地名】泊瀬の川
【故地名読み】はつせのかわ
【現在地名】奈良県桜井市
【故地説明】初瀬の北方、長谷寺の東北の山中、桜井市小夫・白木に発し、初瀬で吉隠よりの小流をあわせて西流し、三輪山の裾をめぐって西北に流れ、末は佐保川をあわせて大和川となる初瀬川。
【故地名】藤原の都
【故地名読み】ふじわらのみやこ
【現在地名】奈良県橿原市
【故地説明】持統(8〈694〉年12月より)・文武・元明天皇(和銅3〈710〉年3月まで)の皇后。京域は高殿町を中心に、北に耳成山、東に香具山、西の畝傍山を望む三山鼎立の、中央よりやや東寄りの広大な平地。
【地名】泊瀬の川:奈良の京:佐保川
【現在地名】初瀬川:奈良市の京:奈良市春日山に発し若草山を北麓を回って佐保を西流し、法蓮寺の南で南流、大和郡山市を経て磯城郡川西町北吐田で初瀬川と合流、大和川に注ぐ