人物詳細

孝謙天皇

項目 内容
人物ID 247
名前 孝謙天皇 / かうけんてんわう
別名 天皇
通称 孝謙天皇 / こうけんてんのう
性別
時期 第4期
作品数(長歌) 1
作品数(短歌) 1
作品数(旋頭歌) 0
作品数(仏足石歌) 0
概要 聖武天皇皇女、母は皇太后光明子(本朝皇胤紹運録)。重祚して称徳天皇という。諱を阿倍、禅位後は高野姫尊、上台宝字称徳孝謙皇帝と諡される。天平勝宝1(749)7即位、同8月紫微中台を設置、紫微令に藤原仲麻呂、同9月中台の定員・官位を制定、同2・9藤原清河を遣唐大使に任ず。同月新羅王子来朝、同5・2遣新羅大使の任命、同6・1鑑真の来朝、同月東大寺行幸、同8・5聖武崩により道祖王立太子、同6月大仏殿歩廊の造営を命令。天平宝字1(757)4天下の家毎に孝経1本を蔵せしむ。同月道祖王廃太子により塩焼・池田・大炊各王の中から仲麻呂の推す大炊王を立太子。同7月橘奈良麻呂の謀反発覚。同8月天平宝字に改元。同2・8大炊王(淳仁)に譲位。同4・1仲麻呂(押勝)を大保より大師、同6月光明子崩、同6・6出家、詔し常祀小事を天皇に任せ国家の大事と賞罰は孝謙が行うことを述べる。同7・9僧道鏡を少僧都に任ず。同8・9仲麻呂の乱発覚、同10月天皇が仲麻呂に与したため退位させ淡路へ配流。同月重祚(称徳天皇)。改元して天平神護(765)。同8月道鏡を師とす。同10月紀伊行幸、同月淳仁幽慣に勝えず垣を踰えて逃亡。同2・10太政大臣道鏡を法王とす。同3・8改元して神護景雲。同1(767)3法王宮職の設置、同3・9、八幡神の託宣により道鏡を皇位に即かそうとした