人物詳細
項目 | 内容 |
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人物ID | 251 |
名前 | 柿本朝臣人麻呂 / かきのもとのあそみひとまろ |
別名 | 人麻呂 |
通称 | 柿本人麻呂 / かきのもとのひとまろ |
性別 | 男 |
時期 | 第2期 第4期 |
作品数(長歌) | 19 |
作品数(短歌) | 68 |
作品数(旋頭歌) | 0 |
作品数(仏足石歌) | 0 |
概要 | 柿本氏の出自は天足彦国押人命の後、敏達天皇の御世家門に柿樹があったので氏名とした(新撰姓氏録)。祖は孝昭天皇皇子、天押帯日子命(古事記)。天武10(681)12、和銅1(708)4の柿本臣猿(佐留)との関係も論じられている。作品年次の明確なものを見ると、持統3(689)日並皇子殯宮挽歌、同10年高市皇子殯宮挽歌、文武4(700)明日香皇子殯宮挽歌がある。これらの作から持統・文武朝に仕えたと思われ、寧楽宮の標題の前に石見国で死に臨んだ時の歌があるので和銅3・3の平城遷都以前に没したか。他に持統女帝の紀伊・吉野行幸などに従駕し多くの行幸儀礼歌を詠み、皇子・皇女への献歌も見られ宮延歌人的性格が強い。ただし天皇に対する挽歌はなく、皇子・皇女を中心とした作品の内容からみて皇子文学圏の文人歌人の1人であったと見られる。また地方に於ける歌も多く、瀬戸内海、近江・石見・筑紫などの作品から、下級官人として地方へ下向したと思われる。石見国で死んだ折、「死時」とあり六位以下の官人であったか。「柿本朝臣人麻呂之歌集」がある(万葉集)。 |