人物詳細

高麗朝臣福信

項目 内容
人物ID 381
名前 高麗朝臣福信 / こまのあそみふくしん
通称 高麗福信 / こまのふくしん
作品数(長歌) 0
作品数(短歌) 0
作品数(旋頭歌) 0
作品数(仏足石歌) 0
概要 福徳の孫、背奈行文は伯父。薨伝に武蔵国高麗郡の人、本姓背奈、本姓を高麗・高倉と改め、延暦8年薨、歳81とある。天平10(738)三従六位上より外従五位下、同11・7内位、同15・5従五位上より正五位下、同6月春宮亮、同19・6背奈公より賜姓背奈王。同20・2正五位上、天平勝宝1(749)7従四位下、同8月中衛少将、兼紫微少弼、同11月従四位上、同2・1賜姓高麗朝臣、同8・5聖武崩の山作司、天平宝字1(757)5正四位下、同7月橘奈良麻呂謀反に小野東人を追捕、同4・1信部大輔、同7・1但馬守、天平神護1(765)1従三位、神護景雲1(767)3法王宮大夫、造宮卿、但馬守、宝亀元(770)8称徳崩の装束司、同月造宮卿従三位兼武蔵守、同4・2楊梅宮造作、同7・3兼近江守、同10・3賜姓高倉朝臣。天応1(781)5弾正尹、同12月光仁崩の山作司、延暦2(783)6弾正尹従3位兼武蔵守、同8・10薨。福信は同輩と石上で相撲をしてその力が内裏に聞こえ、召されて内竪所に侍す(続日本紀)。天平勝宝4年入唐使藤原清河らに酒肴を下賜する遣使。時に従四位上(万葉集)。