人物詳細

斉明天皇

項目 内容
人物ID 382
名前 斉明天皇 / さいめいてんわう
別名 皇極天皇, 後岡本宮御宇天皇, 明日香川原宮御宇天皇, 天豊財重日足姫天皇, 皇極, 斉明, 後岡本宮御宇天皇, 後岡本宮馭宇天皇, 岡本宮御宇天皇, 明日香川原宮御宇天皇, 天平財重日足姫天皇, 大后, 天皇 / くわうぎょくてんわう, のちのをかもとのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと, あすかのかははらのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと, あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと
通称 天豊財重日足姫天皇, 明日香川原宮御宇天皇, 後岡本宮御宇天皇, 斉明天皇, 皇極天皇 / あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと, あすかのかわらのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと, のちのおかもとのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと, さいめいてんのう, こうぎょくてんのう
作品数(長歌) 0
作品数(短歌) 0
作品数(旋頭歌) 0
作品数(仏足石歌) 0
概要 皇極天皇、重祚して斉明天皇(日本書紀)。欽明天皇孫、桜井皇子の女、母は吉備姫女王、天智・天武両天皇の母(本朝皇胤紹運録)。舒明天皇皇后。敏達天皇曽孫、押坂彦人大兄皇子の孫、茅淳王の女、諱は宝皇女(皇極紀)。皇極元(642)1即位、以後百済・高麗・新羅の使人が内乱を奏す。同8月祈雨し雨降り至徳天皇と称さる。同9月大寺・宮室造営の詔、同12月舒明を葬る。同月小墾田宮へ移る。同2・4飛鳥板蓋宮に移る。同11月山背大兄王自経、同4・6中大兄ら蘇我入鹿を大極殿に斬る。続いて蝦夷を自尽させる。同日軽皇子(孝徳)へ譲位。中大兄を皇太子とする。斉明1(655)1飛鳥板蓋宮に重祚して即位、同10月板蓋宮から失火、飛鳥川原宮へ移る。同2年後岡本宮へ遷都。同4・5建王薨、これを悲しむ斉明の歌がある。同10月紀伊行幸、同11月蘇我赤兄が有間皇子謀反を密告、紀温泉へ送り後絞殺。以後外交問題が緊張、同6・10百済軍士鬼室福信が新羅の侵略を奏し援軍を請う。同7・1天皇自ら筑紫へ下る。同5月朝倉宮に遷る。この折、病死する者多く同7月天皇も朝倉宮に崩御(日本書紀)。