人物詳細

持統天皇

項目 内容
人物ID 556
名前 持統天皇 / ぢとうてんわう
別名 藤原宮御宇天皇, 大后, 太上天皇, 天皇, 高天原広野姫天皇, 藤原宮御宇天皇 / ふぢはらのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと
通称 持統天皇, 藤原宮御宇天皇 / じとうてんのう, ふじわらのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと
性別
時期 第2期
作品数(長歌) 2
作品数(短歌) 4
作品数(旋頭歌) 0
作品数(仏足石歌) 0
概要 天智天皇第二皇女。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智娘。天武天皇皇后。天武天皇妃の大田皇女の同母妹。草壁皇子の母。鸕野讃良皇女、菟野皇女、沙羅羅皇女とも。称制前紀に皇女は礼を好み節倹、母儀の徳を記す。天智10・10大海人皇子と共に吉野へ逃げ、天武1(672)6壬申の乱の折、天武を助け行動を共にする。朱鳥1(686)9天武崩後臨朝称制。同10月大津皇子謀反、賜死。持統2(688)11天武を大内陵へ葬むる。同3・4草壁皇子薨により同4・1即位。以下行幸の記事多く、殊に吉野行幸は同3年1・8月、4年2・5・8・10・12月、同5年1・4・7・10月、同6年5・7・10月、同7年3・5・7・8・11月、同8年1・4・9月、同9年閏2・3・6・8・12月、同10年2・4・6月、同11年4月の各月に見える。同4・7、八省百寮大宰国司の任、同10月高市皇子に藤原の地を視さしむ。同12月藤原行幸、同5・8、十八氏族の祖の墓記を上進させる。同6・3伊勢行幸に対し三輪高市麻呂が諌止するが聞かず。同閏5月大宰率らに仏の教を伝うべき詔。同8月飛鳥皇女の田荘へ行幸、同7・8藤原行幸、同8・12月藤原宮遷都、同11・8譲位(日本書紀)。大宝2(702)12崩(続日本紀)。崩歳58(本朝皇胤紹運録)。藤原宮御宇天皇(大安寺伽藍縁起)藤原宮御宇太上天皇(東大寺献物帳)。浄御原令の完成、戸籍、兵制の整備など天武の意志を継いで政治的な支配力を示した。