人物詳細

藤原朝臣鎌足

項目 内容
人物ID 704
名前 藤原朝臣鎌足 / ふぢはらのあそみかまたり
別名 藤原卿(2), 藤原朝臣, 内大臣, 内臣, 藤原卿, 内大臣 / ふぢはらのまへつきみ, うちのおほまへつきみ
通称 藤原鎌足, 藤原卿 (2), 内大臣 / かじはらのかまたり, ふじわらのまえつきみ, うちのおおまえつきみ
性別
時期 第1期
作品数(長歌) 0
作品数(短歌) 2
作品数(旋頭歌) 0
作品数(仏足石歌) 0
概要 御食子の子、母は大伴久比子卿乙女智仙媛。不比等・氷上娘・五百重娘の父(日本書紀・尊卑分脈)。中臣連鎌子(鎌足)とも。胎内にある時泣き声が外に聞こえ、12ヶ月で誕生したので非凡な子といわれた。聡明仁孝で幼年にして学問を好んだという(藤氏家伝)。蘇我入鹿の力が強大になるに従い入鹿への反撥をもった折、法興寺の槻樹の下の打鞠で中大兄皇子と知り合い、南淵請安のもとへ共に通って入鹿の誅滅を計画した。皇極4(645)6大極殿にて中大兄皇子と共に入鹿を殺す。この改新は鎌足の冷静沈着な計画に負うところが大きい。改新後軽皇子(孝徳)を即位させ、中大兄皇子を皇太子とする。鎌足は大錦冠内臣となる。天智8(669)10病となり鎌足宅に行幸あり、同月大海人皇子の遣いにより大織冠と大臣及び姓藤原を受ける。翌日薨、歳56(日本書紀・藤氏家伝)。その伝に『大織冠伝』がある。『元亨釈書』には定恵が鎌足の子とする。