人物詳細

藤原朝臣豊成

項目 内容
人物ID 708
名前 藤原朝臣豊成 / ふぢはらのあそみとよなり
別名 南石大臣, 藤原豊成朝臣, 南右大臣 / みなみうだいじん
通称 南石大臣, 藤原豊成 / みなみうだいじん, ふじわらのとよなり
作品数(長歌) 0
作品数(短歌) 0
作品数(旋頭歌) 0
作品数(仏足石歌) 0
概要 武智麻呂の子、母は安倍貞吉女貞媛娘(公卿補任)。また安倍真虎女(或いは真若吉女)(尊卑分脈)。室は藤原百能。神亀1(724)2正六位下より従五位下。天平4(732)1従五位上、同9・2正五位上、同9月従四位下、同12月参議、兵部卿、同11・1正四位下、同12・2難波宮行幸留守司、同10月伊勢行幸留守司、兵部卿兼中衛大将、同13・閏3恭仁京遷都に平城留守司、同9月宇治山科行幸留守司、同15・5従三位中納言、同17・8難波宮行幸留守司、同18・4東海道鎮撫使、同20・3従二位大納言、天平勝宝1(749)4右大臣、同6・7大皇大后葬の造山司、同8・5聖武太上天皇崩の装束司。天平宝字1(757)4皇太子に塩焼王を推すが失敗、同5月正二位、同7月橘奈良麻呂の謀反を知りつつ奏上しない罪で大宰員外帥に左降、病と称し下向せず。同8・9弟の仲麻呂謀反に際し右大臣に復し従一位、帯刀40人賜わる。天平神護1(765)11薨。右大臣従一位、歳62。薨伝がある(続日本紀)。天平18(746)1元正御在所での雪の宴に参席(万葉集)。