人物詳細

藤原朝臣仲麻呂

項目 内容
人物ID 711
名前 藤原朝臣仲麻呂 / ふぢはらのあそみなかまろ
別名 大納言藤原, 藤原卿(3), 藤原, 藤原朝臣, 藤原卿, 藤原仲麻呂朝臣 / だいなごんふぢはら, ふぢはらのまへつきみ
通称 大納言藤原, 藤原卿 (3), 藤原仲麻呂 / だいなごんふじわら, ふじわらのまえつきみ, ふじわらのなかまろ
性別
時期 第4期
作品数(長歌) 0
作品数(短歌) 2
作品数(旋頭歌) 0
作品数(仏足石歌) 0
概要 武智麻呂の子、母は安倍真虎女(尊卑分脈)。安倍貞吉女貞媛娘(公卿補任)。天平6(734)1正六位下より従五位下、同11・1従五位上、同12・1正五位下、同10月伊勢行幸前騎兵大将軍、同11月正五位上、同13・閏3従四位下、同4月河堤相論の検校、同7月民部卿、同14・8紫香楽行幸の平城京留守、同15・5従四位上参議、同6月左京大夫、同16・閏1市に定京を問う。同月恭仁留守司、同17・1正四位上、同9月民部卿兼近江守、同18・3式部卿、同4月兼東山道鎮撫使、同月従三位、同20・3正三位、天平勝宝1(749)7大納言、同8月兼紫微令、同2・1従二位。天平宝字1(757)4大炊王を皇太子とする。同5月紫微内相、同6月橘奈良麻呂は仲麻呂を除く計画を立てたが失敗。同2・8大保、これ以降姓藤原恵美朝臣、名押勝とある。また官号を改め右大臣を大保、太政官を乾政官、紫微中台を坤宮官とす。同3・11帯刀資人を賜わる。同4・1従一位大師、同5・10仲麻呂宅行幸、同6・2正一位、鉄穴を賜わり、同5月帯刀資人を賜わる。同7・2渤海使を饗す。同8・9都督4畿内3関近江丹波播磨等国兵事使、同月仲麻呂謀反。道鏡が天皇に寵されるのを妬み諷して都督使ななり、太政官印を秘かに用いその兵を集め反したが失敗。近江へ逃亡した後追討により高島に湖畔に斬首。歳59。薨伝がある(続日本紀・藤氏家伝)。天平10・1の天皇御在所での雪の宴に参席。天平勝宝3・4入唐使